喫茶去 (きっさこ)
という禅語、、
ある禅僧の逸話より、、むか~し昔のことじゃった、、(▰˘◡˘▰)
ある禅僧のもとに、、来客 (僧) が一人、、
「あなたは前にもここに来たことはありましたか?」
「いいえ、初めてです。」
「さぁ、お茶でもどうぞ」
また別の日、、来客が一人、、
「あなたは前にもここに来たことはありましたか?」
「はい、あります。」
「さぁ、お茶でもどうぞ」
この様子を見ていた一人の院主 (事務担当) は、、不思議に思いその禅僧にこう尋ねる、、
「老師、なぜあなたは、ここに来たことがある人にも、ない人にも、
同じように、お茶でもどうぞ、、と言われるのですか?」
すると、、老師、、「院主さん」
「はい、、( ;゚─゚)ゴクリ」
「お茶でもどうぞ」
何度ひも解いても、、この老師の見ていた世界のシンプルさと美しさに、、
思わずうっとりしてしまいます、、( *´艸`)
というわけで、禅は、、この真実、、今ここを外しません、、
ですから、先の禅僧は、、唯一のリアリティ、今この瞬間の出会いに客人を立ち止まらせ、、
ある意味では、相手に真実をプレゼントしたとも言えるのです、、
さぁ、今ここに出会って行かれませんか?
お茶でもどうぞ召し上がれ、、と、、
スピリチュアルな旅に関わらず、、多くの迷い、迷走、混乱や焦りに苛まれる場面は往々にしてあります、、
答えは一体どこにあるのだろう、、この道で間違っていないのだろうか、、
私は一体どこへ向かっているのだろう、、真実とはいったい何のか、、
それを知って人生はどう変化するのだろう、あるいは、人生にどう役に立てればいいのだろう、、
云々かんぬん、、Oo。。( ̄¬ ̄*)
こうした時は、どこかに行こうとするのではなく、
まさに今、たった今! 目の前に現れている行為行動、、
出会い出来事にシンプルに関わる、取り組むということに立ち戻ってみてください、、
何か特別なことを知ろう、手に入れようという思いも手放し、、
ただひたすらに、今に取り組み、出会う時、、(三昧)
私たちは、真実が何か、自分の正体が何のかを徐々に知り始めることでしょう、、
悟りは、ここになければどこにもない
あるのは今この瞬間のこの出来事だけ (ジョーン・トリフソン)
「今」 は常に、、あなたにプレゼントされています!
だったら受け取るっきゃないでしょう!ただひたすらに!!─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
※というわけで、今度の休み、、東京国立博物館で開演中の茶の湯展に、、
お友達のクリスタルN君とレッツ!今ここしてきます!(●‘∀‘●)ノ"
今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ