きぼうしゅうらく

皆様、新年あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
ありがとうございました!


私自身も新潟に移住して、来月で3年目に突入します。
1年目はただ、走りきった年でした。
2年目は少しずついろんなものが見えてきて、そして仲間も増えた年でしたが、
条件の悪い中山間地で経済をつくること、農業をすること、
だからこそ、人が山から離れてゆくことをおおいに実感する年でした。


悩んで悩んで、
試行錯誤して、
失敗と挑戦の1年でした。
がんばる中で、辛いこともたくさんありました。
たくさん泣きました。



今年は巳年にも関わらずww
年賀状には、この白菜の写真を使いました。


成長途中の白菜です。
冬に向かう冷風に当たりながら、これからじくじくと葉を巻いてゆきます。
その姿は花のようで、とても美しかったです。


大根もそうです。
放射線状に等しく伸びてゆく大根の葉っぱ、
寒々とする大地の下で、太ってゆくのを想像すると、どきどきします。


彼らはどこから力を得ているのだろう。
彼らはどこからデザインされているのだろう。



誰から見られるわけでもない。
食べる人はできあがったやさいの姿しか見れません。
それでも、「完成された」白菜になるまで、白菜を全うして、
その生きる過程も美しい、そんな人になりたいです。


そんな思いを込めて、この写真を使いました。



小さな集落、池谷では小さな集落ながら夢はおっきいです。
人員は少ないのに、やろうとしていることも、広げる風呂敷もおっきいです。


私の実家、讃岐弁で言うと
こんまい集落やのに、おっきょい夢持っとって
それでもって今おる集落のおじいちゃんおばあちゃんたちが
がんばれる時間も少ないってきとるけん、
あれもこれもして、えらい(苦しい)ときもあるんや。
焦るんや。
はよ結果出せって言われても、
そんなんすぐできんけん、日本中のちいさい村は苦しっみょんや。



すぐ結果出すことを求められて、結果が出んと淘汰されるいまの世の中で、
何十年かけて衰退していった農村と、農業を元気にすること、
1人の人間が、農業できるようになるまでの経験、時間、そして挑戦と失敗の時間、
ぜーーーーーんぶ、時間をかけなできんことやけん、人が離れてく。
だから、時間をかけてせなあかんのと思う。
対症療法はようけあると思う。でもそれでは意味がない。



そいで、池谷はがんばるぞってスタートを切っただけで
なんもすごいことしとらんのに、なんやら最近いろいろ表彰されよる。
不思議なかんじ。


けど、今すべきことは、おっきょい夢持っとっても、
地に足着いたことを確実にすること。
それがめっちゃ楽しい!って思えること。
それが仕事になること。
そーやないと、新しい仲間も増えんと思うん。
むらを出た息子さんや娘さんたちも、
一緒にがんばってみようかな、ってならんと思う。
私は、そこが移住者だけの村になるんじゃなくて、
いまいる人(池谷にゆかりがある人、池谷に近しい人)とも、一緒にがんばりたい。


そんなむらの中で、私はどう生きるか。
香川の実家で、頭を冷やして今年の方向整理しよう。
そういうつもりで帰省した。



いっぱい、いっぱいがんばるために、実家がある。家族がある。
故郷でもない、同級生も家族もおらん土地で、仕事をつくるのが難しい土地で、
でもダイスキな人がどんどん増えてゆく土地で、がんばるために、
自分の足で立たなあかん。



間違っとること、へんなことを言ってたらごめんなさい。
でも、地域で、山で、生きていくってことが、経済をつくることが、
とても難しくて、挑戦ばかりでもがいて、もがいて、もがいているってこと、
苦しくて辛くて、結局対症療法ばかりになって、目の前のことに追われて、でもときに楽しいこと、
早くなんとかしてくれって言われても、
なんかすごいことしてくれって言われても、
もうこれ以上がんばれない、そう思ってたけど、
でも今年もがんばるから!ってことが伝われればと思います。
ただ、やっぱり、家族と、住む家がほしい。