きぼうしゅうらく


先月の日照りから打って変わって、稲刈りの時期が始まってからは雨が続いた。
そんな中、近隣集落で直売所等で大変お世話になっていた方が先日お亡くなりになった。
突然の出来事。



とても正直な方だった。
素直で、思ったことはなんでも言う方だった。


ちょうど亡くなる2日前に、電話で直売所に関してお叱りを受けた。
でも、地域のことを一生懸命考えている人だった。
だから、飛渡がいろんな集落ひとつになって、なにかしようということでできた食農会にも、始めの方から会合にも参加してくださった。
新しくできた直売所にも、よく野菜を出してくれ、そして店番にも立ってくれた。
車座おにぎりにも参加してくれた。
口ばかりでなく、積極的に関わってくれたし、気にかけてくれた。


私が移住したての頃、その集落の老人会のお茶会に呼ばれた。
そのときから、この地域をひとつにして、もっとよくしたいと、だから一緒になにかできないかと言っていた。



厳しさ、叱咤の根底にあるのは、人によって区別しない信頼と、優しさ。
それがあるから、誰に対しても真っ正面から向き合える。
いいことも、悪いことも、ちゃんと言う。
それを苦手と思う人もいるかもしれない。
少しぶっきらぼうになっちゃうかもしれない。
けれど、そんなまっすぐさはうらやましく思う。



私は、嫌だなと思うことや不満に思うことはあまり口にしない。
「自分が我慢すればいいんだ」と、「悪い空気になるのは嫌だ」と、やりすごすことが多い。
言いたいことはある、
けれど、それを言うことで自分が悪者になりたくない、いい子でいたい、傷付きたくない、相手も傷つけたくない、そう思ってしまう。どうにか傷つけない言い方を考える。考えて、考えて、でも結局そうやって言った言葉は、言いたいことの半分も言えていない。
やはり、それは向き合っていないということかもしれない。


全てを受け入れることは、優しさではない。
受け入れたフリをして、逃げている。


強いハートを持って、どれだけ人と向き合えるか。
しかし、勇気を出して私が向き合ったからと言って、相手が同じように向き合ってくれるとは限らない。
私のもとから離れていくかもしれない。嫌に思うかもしれない。逆に私みたいに発散しない人は溜め込んでしまうかもしれない。
まっすぐで正直であることはときに不器用となるけれど、でもこちらもちゃんと向き合えばこんなにいい関係はないと思う。



その言葉には悪気はほとんどない。
その言葉は、傷つけようとして発した言葉ではないのだから。
腹のうちを明かさず裏で嫌味を言うより、何倍もいい。


誰に対してもおしなべて抱いている信頼と優しさ、これが強いハートの裏付け。



お線香をあげにいったときに見た顔は、いまにもしゃべりだしそうなくらい穏やかだった。
ほら、やさしい顔をしてるじゃない。



「思ってること言えないんだったら、その人に対してイライラしちゃだめだよ。
言わないとまるっきしなにも伝わってないよ。かなちゃんそれだめだよ」
と先日、親しい人に言われてしまった。強いハートが足りなくて意気地なしの私にそう言ってくれた先輩、本当にありがとう。


東京に持っていってもらうくるみの梱包がやっと終わった。
ねむいよう。
明日も稲刈り、がんばろう。