ニューズウィーク日本語版のレベル | 朝鮮問題深掘りすると?

朝鮮問題深掘りすると?

初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

キヨスクでニューズウィーク日本版(6月10日号)を買った。「北朝鮮危機 核半島の脅威」という表題が大きく載っていたので思わず買ってしまった。だが、読んでから買ったことを後悔した。資料にもならず、参考にもならないものだったのだ。

腹が立つのでブログで扱うことにした。せめてもの腹いせだ。内容は「今こそ封じ込めに転換すべき5つの理由」「世界を脅かす北朝鮮・イラン同盟」「オバマ対話の限界」「北朝鮮経済 崩壊寸前のウソ」「『核兵器の無い世界』はなぜ危険な幻想か」と挑戦的な表題が続く。

最初のはフォーリン・ポリシー特約のダン・トワイニングの記事。右派丸出しの記事だ。彼は5つの理由をいちいち書いているが、危険な発想が飛び出してくるので少しコメントが必要だ。

たとえば「日本が憲法解釈と国内政治の問題に決着をつけ、北朝鮮に照準を合わせたミサイルを配備したら、東アジアの軍事的・政治的状況は一変する。それによって北朝鮮に対するアメリカの抑止力と影響力も強まる」という部分だ。まず憲法改正ではなく「憲法解釈」と言っていることが気になる。日本は理解に苦しむ「解釈憲法」という言葉が平然と語られる唯一の国だ。憲法を変えることが難しいので、その解釈を変えることで実質的な改正と同じ効果を得てきた姑息なやり方だが、それがまかり通ってきた不可解な国なのだ。

北朝鮮に照準を合わせたミサイルとなると、立派な戦力であり、憲法違反である。憲法を変えない限りそれは不可能だ。それをしっているからこそトワイニングは「憲法解釈」という言葉を使っているのであろう。日本の右翼の手法について良く研究しているようでもある。だが、彼はそれによって生じることになる政治的・軍事的変化が、日本を極めて危険な状況に追い込むことになる点については、何も言ってはいない。

同じ脈絡でこうも書いている。「米政府は中国に頼って北朝鮮の非核化を図るよりも、同盟国を最優先する戦略で朝鮮半島に大きな地政学的変化をおこすことを目指すほうが得策かもしれない」

だが、これによって、かつて同盟国に牙を向け、アジア諸国に多大な不幸をもたらし、いままだ国連憲章の「敵国条項」から自由でない化け物を生き返らせる可能性の方が、よっぽど大きいことに気づいていない。トワイニングの言っていることは結局、目前の問題を解決するために、過去の怪物を蘇らせるだけである。

トワイニングの記事に比べ横田孝記者の記事は、その目の付け所がよい。「北朝鮮経済について世界は3つの誤解をしている」という記事だ。

かれは第1に北朝鮮の経済が前近代的な経済のまま止まっているかのような認識、第2に北朝鮮の経済が国際的な闇市場に頼っているかのような認識、第3に北朝鮮が孤立しているという思い込みを世界が犯している3つの誤解だと指摘する。

視点は評価できるが、それが誤解だということを説明するには力不足だったようだ。私としてはより深く、豊富な資料(例えは北朝鮮の具体的な外交の内容など)を駆使すれば、よりよい記事になったろうにと思うだけだ。勉強不足がたたったようだ。

「独り相撲のオバマ外交」を書いたマイケル・ハーシュの記事は、一言でいうとオバマが直面している外交問題の対象国である北朝鮮、イラン、パキスタン、アフガニスタン、イスラエル、パレスチナなどの「オバマ外交の交渉相手が不在だ」ということがオバマを独り相撲させているということだ。

だが、北朝鮮、イランは別として他の相手はアメリカ自らが招いた結果であり、これまでの内政干渉を常としてきたアメリカ外交の結果であることがわかっていないようだ。パキスタン、アフガニスタン、イスラエルなどはアメリカの内政干渉によって作られた政権であり、その意味でアメリカ外交の嫡子なのである。従って彼らを目にしながら、「外交の相手が不在」だというのは、手前勝手な言い訳に過ぎない。せいぜい気に入った相手ではないということなのであろう。

また北朝鮮やイランは、外交の相手ではあるが、アメリカの外交が通じない相手なのであって、それを「不在」だとするのは、嫌なものは見たくないというのと同じである。

つまり「オバマの外交」は前任者らの、先を見れない勝手な対処療法によって、八方塞になった状態を受け継いだために、相手が「不在」という羽目になってしまったのである。マイケル・ハーシュにはこれがわかっていない。いやわかってはいるが書けなかったのか。

最後の「核廃絶の幻想に潜む危険」という記事だが、この記事を元米軍備管理軍縮局長のケネス・エーデルマンが書いていることに、まず驚いた。彼の記事にはつねに責任逃れを第一にする、アメリカの姿がそのまま浮き出ている。

彼の視点に欠けていることは、核廃絶の前にドクトリン、つまり核攻撃ドクトリンを無条件で廃棄し、それを国際社会の前で成約することが必要であり、核廃絶はその成約に従って、その論理的帰結として実現されるべきものだという視点だ。5月28日のブログでも指摘したが、米議会が超党派で構成した米「戦略態勢委員会」が6日発表した最終報告書は、「世界規模の核兵器廃絶を可能にする環境は整っていない」と指摘。当面は「確実で信頼できる」核抑止力の維持が必要とし、戦略核の3本柱を温存する必要があるとした。また(1)効果的な「核の傘」の維持(2)ミサイル防衛(MD)体制の整備・強化が必要だとしている。
核に利用価値がある以上、核保有国がそれを廃棄するわけは無く、したがって核の利用価値そのものをなくすことがまず大事であろう。北朝鮮がアメリカの核の脅威が無くなれば核を廃棄するという論理は、まさにその点を突いたものである。

オバマ大統領の核廃絶に関するプラハ発言を世界は歓迎したが、核の利用価値そのものをなくすことについての発言が、まったくないことに目を向ける必要がある。もっともエーデルマンの記事で評価できる点がワンフレーズだけある。「核兵器の全廃といった気高い目標はけちをつけにくい。」というやつだ。

オバマの発言があった後の日本のマスコミは、それを大歓迎した。だが、核の利用価値を評価したまま、捨てることが出来ないまま行った核の全廃という主張の矛盾に、どれだけの人が気づいたであろうか。マスコミは北朝鮮の核実験が、オバマの核廃絶発言に水を差した「暴挙」だと報じたが、あまりにも幼稚である。それは武装した強盗が、武装したまま行った「暴力反対」という発言に感動し、武装した強盗を目前にして身構えたことを「暴挙」だと言っているのと同じことだ。

総じてニューズウィーク日本語版の特集は訴えるものがまったく無いものだった。これを読んだ読者が、事態を正確に把握すること、何が必要なのかを考えさせるものではなかった。だとすれば、やはり売るために作っただけの無意味な特集だったと言うしかない。