新聞記事の大きな反響!
【これまでの総歩行距離(海外+国内)】約21,100km
【あゆみと歩いた距離】5,738km
【台湾で歩いた距離】478km
【記事内の行程】南投県仁愛郷→
【現在地】新竹市(台湾77日目 台湾徒歩縦断の旅は台北にて終了)
一昨日の朝、台湾徒歩縦断の旅を終え、とあるホテルで泊まっていたのだが、一本の電話で目を覚ました。
電話は片言の日本語で、私達はその日の新聞に載っていることを知ったのだ。
台湾の新竹市在住の日本人、庄野さんに日本語に翻訳していただいたので、掲載させていただこう
「日本人徒歩台湾縦断、台湾人の人情厚さに感激
台湾で最も美しい景色は人情です。
日本からの児玉夫妻は僅か手押し車一台で3ヶ月を掛けた台湾一周旅行を計画。
5月11日屏東県鵝鑾鼻(オランピー)岬を出発。毎日7~8時間花東街道を北上。路上、食料、飲料等の
もてなしを受けながら2人して昨日、暑い新北市を通過。"台湾人はすばらしい"と感動している。
48歳の児玉文暁さんは小さい時から世界一周の夢があり、1995年に初めて徒歩旅行を決行以来、
ポルトガル、スペイン、フランス、スイス、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、ニュージーランド、
オーストラリアを踏破。2005年に帰国後、手押し車にテント、食材等生活必需品を積み、自炊しながら、
都会、観光地を避けて日本各地の人情風情と触れ合いながら日本縦断省エネ旅行に出発。
2006年児玉さんは北海道旅行中に奥さんのあゆみさんと知り合い、あゆみさんは2年後に職を捨て
2人での日本縦断旅行が始まった。1年の内3ヶ月は旅行、9ヶ月はスキー場、旅館、酒蔵、等で
アルバイト。
昨年末沖縄で結婚式を挙げ、台湾は結婚後初めての旅行先、言わば、新婚旅行先である。
児玉さんは9年前台湾旅行の経験があり、台湾人の熱情と友情に感動、今回は奥さんを伴っての再挑戦。
花東街道を北上しながら原住民の歌や踊りに触れ合ったり、太魯閣(タロコ)の風景を楽しんだり、
花蓮の吉安小学校で講演をしたり、旅を楽しんだ。
北上時、花蓮から4日かかって手押し車を梨山(海抜3,000m)まで押し上げ、現地人から果物を送られて
激励された一幕もあった。
"実は私旅行はあまり好きではないんです。旦那さんと知り合ってから一切が変わりました。不思議なものです。"
あゆみさんは少しの英語とボディーランゲージを通して、台湾人は非常に親切な事、途中は大部分、
小学校や派出所に宿泊させてもらった事、道々出会った多くの友達、食べ物やお茶を頂いたり、
"がんばれ"と励まして頂いたり日本ではなかなか得難い経験でしたと言っている。
ご夫婦は台湾の夜市が大変お気に入りで、特に臭豆腐と台湾ビール、中でも台湾人の人情味が一番
好きだと言っていた。
自由新報 台北報道 記者 頼」
その新聞記事を読んで感銘を受けた息子に変わって電話をかけてきたお婆ちゃんらしい。
新聞記事を届けると同時に私達を昼食に招待したい、とのことだった
そして現れたのが施志平さんだった
施さんは登山をしたり、8年前に中学生だった息子と一緒に自転車で台湾を一周したりして、
最近も半月ほど東京に旅行に行っていたそうで、そういうこともあって私達の旅に共感してくれたようだ
昼食に餃子の店に連れて行ってもらったのだが、その時に施さんは前日の新聞記事さんにも連絡を入れていて一緒に昼食をいただいた。
昨日、再び電話で目を覚ます。
新聞記事を読んだ人が食べ物の差し入れをしたいと言うのだ
そしてその日の新聞にもまた私達のことが掲載されていたことを知る
それは昨日の施さんとのことだったのだ
その後、新聞社から連絡があり、記事の反響が大きく、私達の連絡先を知りたいという電話が何件も入っていて教えても構わないか?
というものだった。
そして遠く高雄からも招待したいという電話もいただいた。
高雄は少し遠いし、台湾縦断の出発前に旅の準備のために立ち寄って一週間ほど滞在していたこともあって、辞退させていただいた。
しかしありがたい話だ。
台湾の皆さんの温かい人情を受けつつ、自由気ままに旅を続け、そのことの記事でまたさらに親切な申し出をいただく。
何だかバチが当たりそうなほど恵まれているなあ
ちなみに最初の記事の
「3ヶ月歩いて9ヶ月仕事する」
は本当は
「3ヶ月仕事して9カ月歩く」
で、元記事の段階での勘違いである。
まあ普通そう思うわな・・・
↑↑↑このバナーをクリックすると一日一回ランキングポイントがカウントされます
一日一回のクリックが更新の励みになります。いつもどうもありがとう
一緒に歩いているパートナーあゆみのブログ⇒⇒⇒「ただ歩いてゆく旅」
あゆみのお兄さん(タスマニア島のフォトグラファー)のブログ
タスマニア10,000人プロジェクトの撮影も終了。展示会はいつかな?⇒「タスマニアで生きる人たち」