感じる心というものは、人種や民族を超えて普遍的であることを、ぼくは経験から確信することができる。とくに、欧州人は、じぶんたちの性(さが)を、よく感じている人々が多いようだ。たとえば、一時期滞在したドイツで知り合いになったドイツ人で、自らの民族性をけっして肯定的に感じていない人々に、ぼくは気づいた。日本人が感じることを彼らも感じているらしい。あるドイツ人女性は、ぼくが、「心温かなドイツ人」という、何の脈絡であったか忘れたが、口にした言葉を、けっして受け入れようとはしなかった。「心温かなドイツ人なんていない」、と言い張るのだ。「あなたのお世辞ありがとう」、と締めくくった。現在、中世以来の欧州人の植民地主義の業が顕わとなり清算されようとしている歴史的な状況にあるが、彼らの自業自得だと云うは容易であり、たしかに彼らの運命であるとは思うが、彼らの多くもじぶんたちの自己意識で苦しんできたのだと思えば、冷たい言葉を投げかけて済まそうとするよりもすこしは人間的な気持ちにこちらもなれるだろう。