一年前のきょう

 

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これはまったくぼく個人の態度ということにしておく。ほかにもぼくの態度に共感する方もおられるだろう。それはそれぞれの自由である。それにしても、ものの判断はそうとうな事実研究に基づかなければならないのは確かであるにしても、ぼくは美感覚に反するものの研究に深入りするのは御免である。ましてや、資料としてでも、反美的なものを呈示することはできない。反美的なものは魂を損ねるからである。事実研究に携わりながら、人間であることをやめることはできない。そういうディレンマを感じない研究者の実体は、ぼくにはわからない。どういう研究成果を呈示してくれようとも、反美的なものには、慎ましく蓋をしておいてもらいたい。そうしてもらわないと、有益さよりも迷惑さのほうが大きくて、訪れないほうがよかったと思うことになる。どうしてこう、研究の名の許に、むしろふざけた反美的なものを面白がっている研究者が多いのだろうか。それでは、どんな有益な成果や見解を示してもらっても、評価したい気にはならない。 

 

これこそ良心の問題だとぼくは思うのだが。 

 

 

(こういうことを書くぼくもディレンマであるが、人間であるとは、そういうディレンマを持ちつづけることではないのか。)