どういうこと? 

 

高田先生の精神境位を窮めることに再び専心したい。最初のぼくの初心にまちがいはない。彫刻原理というだけでなくね、人生原理が問題なのだ。この欄でもそれが本来の志だ。そこにすべては還ってゆかなくてはならない。ほかのことをやっても、それは本筋に傍証をふやして裾野をゆたかにするためなんだよ。本筋への集中沈潜をわすれたら、ぼくの価値がなくなるわけではないけれども、ぼくの決めた自己沈潜ではなくなる。高田先生の自己原理こそは、ぼくの探求すべき自己原理だという感動が、ぼくの初心なんだ。それをぼくはきょう、落ち着いて思いだした。 

 

これはぼくの、高田博厚へのかかわり方なんだ。