この言葉が、長い(たいして豊富なわけではない)経験から、かってに結晶して生じたので、記しておく。 ほんとうに賢明なのは、ほんとうに難しい。 

 

 

それがわからないで馬鹿やってる者が多すぎる。慢心のおそろしさだね。

 

 

自分にたいしては、ぼくも馬鹿ですよ。だから反省するんだ。せめて他者にたいしては馬鹿でないようにしようと。 人間は十中八九、他者にたいして平気で馬鹿をやっている。自分に気づかないから。それを慢心というんですよ。せめてぼくは、自分に馬鹿でも慢心にはなるまいと努めているのです。 

 

 

意識に目覚めた時からの自己葛藤が、ぼくの強みなのだろう。逆説的だけど。救われているようにみえるかどうかということじゃないんだ。

 

詭弁で、じぶんがほんとうは賢く見てるんだと、思いたい者を、小人という。ぼくはそういう小人にかかわらない。本性的に。 詭弁で生きていない者が、本物の第一条件だ。そしてほんとうの信仰を肯定する。