女性の特徴は優しさだと云われるが、地方と都会とを問わず、ほんとうに優しい女性は稀である。圧倒的に殆どの女性は、ただ表面的に柔らかいだけである。ほんとうの優しさ つまり思い遣りは、思慮深い人間にしかできない。これは男女を問わない事実である。中味の無い人間に、思い遣り つまりほんとうの優しさは無理である。ありていに生きている人間には無理。ぼくはこれを言っておこう。ありていに生きているのに、じぶんは思慮深いと思っている者は、無数にいる。その思慮はほんとうの思慮ではなく、理屈なのである。その区別が分からない人間が殆どだということは、なにかというと理屈で相手をやりこめようとする者が、とくに女性にこそ多いことで知られる。ぼくは理屈が前面に出る女は大嫌いであるような、若いが古風な九州男児である。そしてこれが正しいのだ。地域の特色の問題ではない。理屈は正しいか正しくないかではない。理屈そのものが人間の路ではないのだ。ぼくがこの欄で徹底して避けてきたのは、理屈である。感情しかぼくは信頼しない。音楽を実践していて ますますこのことに目覚めてきた。音楽のなかでぼくの感情が純粋にむき出しになる。人間に必要なのはこの純粋感情のみだ。これを、理屈に不得手なゆえに理屈から逃げたい者が言うのではなく、理屈に通暁して理屈の首根っこを羽交い絞めにできる達人のぼくが言うのだ。ぼくは純粋分析の人間なのだ。都会のスモッグのような理屈はぼくに通用しない。青空のセレニテのような分析しか要は無い。