高田博厚もこれを知っていただろう。 



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「創造主」のあらゆるいかがわしさにもかかわらず、「神」を人間は信じている。その理由は、人間が懺悔するとき、「神を前にしての祈り」が最も純粋に為されているからであり、人間は本性的にそのような懺悔を、自己純化のために欲するものであり、ゆえにそのために神を欲する、つまり信じているからである。 「創造主」を思うときと 「神」の前にあるときとでは、人間はまったくちがう意識にある。

 

自己の魂の純粋さを いかなるものより欲する者には それがわかる。 

 

 

キリスト教の懺悔ではない。自己の純粋さを知っているがゆえの、自己らしからぬものを除くための懺悔である。というのは、この世に生きているかぎり、この世で為されている観念形態を不本意に演じてしまうことがあるから。