《 徳は先ず第一に思想であり、また英雄はすべて哲人である。しかし英雄の重大な秘密を、すなわち思想もまた高邁の心を予想するということを、よく捉えたのは、確かにデカルトただ一人のみである。判断するのは意志であり、また疑うのも意志であるとする『省察録』の学説は誰しも知っている。デカルトを要約することは何の益もない。有益なのは、これらの〔デカルトと〕同じ観念を別の言い方で表現してみる、あるいは別の道によってそこに到達することである。》 

 

アラン『デカルト』 160-161頁

 

 

 傍線部は、わたしと一緒に苦労してこの欄を読んでいる者には、この欄の蓄積にもとづいて、すでに自ずとあきらかなことだ。むしろぼくは上の、「徳は先ず第一に思想である」という言葉に感銘をうける。徳が徳であるためには、自覚されていなければならない。すなわち思想となっていなければならない。無自覚的な徳もある、と、ぼくは言いたくなるが、それは、人間的な感覚がはたらいている場合である。そして同時に、そういう感覚はやはり思想である、と思う。 

 

「思想もまた高邁の心を予想する」とは、同じことをぼくがすでに言っていることだ。 

 

 

(自覚されていない徳は弱い。たとえ自然な徳であろうとも、その自然性ゆえに。 自覚は、真の反省と懐疑と否定の上にのみ、不断に新しく維持されている。)