黒澤明の『酔いどれ天使』のなかで、「世のなかに病人がいなくなって一番困るのは医者だ」、という、みずから医者である主人公の台詞は、有名らしい。フランスに居たとき、日本映画を気晴らしに観るようになり、黒澤のものも観たが、黒澤作品はフランス人のお気に入りで、この作品も何度かフランスでぼくは観たようだ。というのは、この台詞が出てくると、かならずフランスの観衆が、まったくだ、というように、静かなどよめきのような反応を起こすのを、ぼくは何度も経験した記憶があるからだ。昔はぼくも、医者についてそういう皮肉な観方もあるな、くらいに捉え留めていたが、今度のコロナ対策騒動で、問題の台詞の重さが全然違ってきた。まさに、医者というものは、患者で病院経営をし、生計を立てているかぎり、ほんとうに、人間の健康など望んでいないのである。それどころか、既成の疾病で不足なら、あたらしい疾病概念を作り、流布させることをやっているようだ。これが医師のための〈Go to〉政策なのだろう。とんでもないことだ。患者の副作用被害など、医師には問題となりえない。そこのところをわれわれはよく注意しておらねばならない。メディアも操作され協力させられている。医療インフラによって支えられている社会は、同時に病院に喰わせる患者も産まなければならない。現代社会そのものが、自己矛盾存在なのである。そういうむくつけき実態を、今回の騒動は一挙に明るみに出してくれた。問題の台詞の意味のものすごさを。 

 

 

 

良心的な医師の名誉を守ることは義務であり礼儀であると思うので書く。滞欧中はドイツとフランスの医師に掛かったが、人間対人間という態度が生活的に徹底していて、高度な医療技術とともに、ぼくは彼らに感謝している。「人間」も「技術」も、日本の多くの医師とは全然違う。文化と文明の本場であるという経験をした。