ポール・クローデルの作詩にオネゲルが作曲したこの作品(劇的オラトリオ)を再聴し感動しながら、こういうことを思った:

 

火刑台上のジャンヌ・ダルクは、選ばれたすべての者たちの身上である。だから感動を与える。この世は、当事者の身に覚えのない非難に充ちている。だから、内容を知らない者を軽々に批判する世の者たちは、ジャンヌを非難する者たちと同類であり、いずれはその責を負うことになる。たとえば、ハイデガーに比べてヤスパースを批判する者たち、ドストエフスキーに比べてヘッセを量る者たちは、ヤスパースやヘッセの真価を知らずにそうしているのだから、昔の世の非難者たちと同じなのである。そのほか同様。 

 

 

くりかえすが、このことを認識するのに、スピリチュアリズムは何と無力で無責任なのだろう。直接感覚から離れ、直接感覚を欺くその詭弁は、知らないほうがよい。