いまの学者は教養力がないから、ほんとうらしいことしか言えない。このほんとうらしいことは、真理や真実の周囲を回っていれば、最善であり、まったくの詭弁もあるのだ。 

 

真の知性は教養力がなければ作用しない。教養力は人格力であり、人間力である。自分をどこまで深めていられているか。そういうものがほんとうにてんでないのである、いまの学者には。とくに日本は人間力を培う土壌がない。ぼくは徳とかそういうものを言っているのではない。根源と志の深さを言っている。 

 

 

いまの政治家も芸術家も、教養力が無いのは全く同様である。だから人間問題を起こす。成熟していない者たちが自主憲法などつくったら大変であり、無いほうがよい。 

 

 

 

 

別事 

いまの緊急事態宣言下で、湘南とかに繰り出す人々を、最初はぼくも単純なもので、日本人か、と憤慨していたが、いまは、そのなかにも、自分の生を実存的に選びとったひとたちもいるだろう、と思っている。この一瞬が人生であるなら、自分の生を自分らしく生きよう。これは刹那主義ではないのだ。全体の様態を一義的に決め、その観点のみから人間の動きを評価する態度こそいまわしい。マスコミもそういう観点に追随して、その都度の全体主義に与するだけなら、人間主義に役立たない。