自分が信じる自分になるには、どんなに一目置いている者の自分についての消極的判断も、否定しなければならない。つまり そういう者をすら、拒否しなければならない。この拒否は、自分にも殆ど不自然に思われることすらある。しかしこういう拒否こそ、断行せねばならないデカルト的拒否なのだ。ぼくは自分を得るためにすべてを否定しよう。よろこんで非人間になろう。そんな非人間の資格を、ぼくは誰にも認めないが、ぼくだけは、その資格がある。 

 

これはぼくだけが認めていればよい孤独な告白である。