2015年のきょう より  


 

ぼくが神様だったら

 

ぼくが神様だったら 人間とはちがう審判をする
結果ではなく 本質でさばく
結果は偶発的なもの 本質の必然ではない
きみにはもともとこんないいところがあった わすれていただけだよ
ぼくがおもいださせてあげよう ほうら これがきみのほんとうのすがただ わすれていたためにやってしまったきみらしくない結果など ぼくはぜんぜん気にしていないよ ぼくは世間とはちがうのだ きたまえ   またぼくとあそぼう きみはぼくがさいしょから感じ信じていたとおりのきみなのだから それをおもいださせるのがぼくのほんとうの仕事なのだから

 

 

 

 

5年前にこういう「詩」を書いていた。

 

得々と世間であるような人間が多すぎる。聖ベルナールもこれを指摘した。追いつめられると それ(じぶんの立場が世間であること)を明かす。美や真理をもとめると(そういう人間たちは)言いながら なさけないことだ。

 

 

 

裕美ちゃんは全然そういう人間たちとは無縁なんだよね。それを感じるからぼくはきみを愛するんだ。 

 

 

きみはいい子だからぜったい大丈夫