2018.7.1 の節。 

 

周知活動紙の、みるだけで不快な(鬼婆的な)人相図柄は止めてほしい。ああいうのを平気で使っているのは、波動的に、被害者も加害側と同レベルであることを示していると、ぼくは思う。

 

 


 

(節より)

 

周知活動派にはどうしてもこのこと(次のこと)に鈍感か、意図的に無視しようとする傾向があるようだが、この集合容喙は、ただ社会的・現世的な次元のみの要素では生じていない、ということである。「形而下的」な要素(人為)と「形而上的」な要素(高次元的な構造)との複合によって生じていると見做すのが妥当なのである(この欄で一貫して言ってきた)。両次元において対処する方法を見出すべきであって、その一環として、ぼくも社会的取締りを支持しているのである。それでともかく救われたと感じる被害者が出てくれば、それはそれで良いと思うからである。

 

隠されてきた「人類の秘密」の開示に、われわれは、いま立ち会っている、と思っている。