’17.5.18
裕美ちゃんの表情をみるほど、この子には「確固としたもの」があるのを実感して、ほとほと感心する。 こういう「向き合える」ひとは、いまの時世、いるものではない。
この「確固としたもの」をしめさなければならない。正しく彫刻の課題だ。
アランの彫像を模写しようとも思っているのだが、裕美さんへの関心が尽きない。
対象に接近しようと努力するほど、対象ではなく自分が現れてくる。 真実なら、似なくて本当だ。自分の深みがどれだけ現れるか。
宗教ではない。宗教的な敬虔さ。それがなければ美は生めない。それが真剣にかんがえられない現代に真の美が生まれないのは当然である。美には方向がある。魂の浄化。そのほかは堕落である。
全魂をもってのぞまなければ美は生めない その「自己全体の実感」がじぶんにあるかを常に問わなければならない 美の創造はこのいみで魂の一元化の場である
ぼくの決意表明