人間がこの世に来たのは、愛するため、というのは、言われなくても解っていることで、むしろ、愛する力だけでは充分でなく、人格としての他を拒否する力を覚える修行のためだ、と、ぼくは思う。 これを、ほんらいの愛の想起とともに為さねばならない。 愛の充分な力のためには、拒否する力も必要なのだ。 これがこの世に来た意味である。 

 

 

 

 

優劣をつけるような表現、他にそう解されるような表現は、なるべく慎み控えるのがよい。 これは人間において最も遺恨となるものである。人間は比較されるのを最も嫌う。 これをせっせと教え体現しているのが学校教師であり、ほんとに悪人と言ってよい。 最近になって、大昔のそういう経験がはっきり蘇ってきて、いまごろ、その根源的な不愉快さを悟っている。 良識人の顔をした悪人である。 (最も良い先生がいたのは中学校の頃である。) 

 生まれてきたときから教えられてきたことを否定するデカルトの懐疑は凄い。あの壮年の彼の厳しい表情がわかる。