意志は、各人の根源(魂)から生じるものとして、はじめてほんとうの意志である。魂が疎遠な者どうしは、かならず離れる。ほんとうの意志が離れたがっているからである。 ほんとうの意志、すなわち本音は、各自が自分でも自覚していない場合でも、作用するだろう。自覚している場合ではなおさらである。そしてこの根源は、超主観的・超主体的なものであるらしく、他の個の根源と、地下水脈によるように繋がっているらしい。ぼくが何を言いたいかというと、思いは、思いの存在そのものによって、他に作用する、ということである。ぼくが思うとき、他も、同様なことを思っている、ということを、ぼくは信じる心境なのである。ぼくが根源的に思うことも、他が本質的に同じことを思っているから、思うものであるかもしれない。その可能性は否定できないのである。(マルセルのいう相互主体性というものも、真実にはそのようなものだろう。)

 

信じる、とは、根源的な感覚に拠るものとして、ほんとうに信じることだろう。ぼくが信じることができるとき、信じられる感覚があるのである。たがいに結びついている感覚があり、その感覚を信じたいし、信じられる、信じることを欲する、というのが 愛であり、これこそ真の意志である。