われわれは真理の探求のために生きているのであって、なにをやっても自由だと心得るために生きているのではない。自由が許されるのは、自由が真理探求の前提であるからだ。  ヤスパースもリルケも、真理探求のために生きている。真理探求となると、大衆は窮屈で逃げてゆくだろうが、真に充実した人生は、真理探求に生きることにのみあるのである。 ぼくはこの「古風な人生態度」を、いまのこの世で、あらためて確認しておきたいと思う。 

 

人生のなかに真理が蔵されているからこそ、人生は大事なのだ。人生は真理を現象させ我有化してゆく過程である。 

 

 

 ただ、その真理探求のあり方の未熟と成熟の差異が、人間と人間との間にも、ひとつの人生の諸段階の間にも、あるのである。