だれでもやっている、愛と云うにおよばないことは、むしろ理性として、その極限において実存が突破する契機となるものである。そこまでいたってはじめて哲学である。 

 

 

実存は理性の根源となりながらも、その極限において理性を突破することがある。そういう根源的衝動を抱えることによってはじめて実存的理性の営為はある。それは実存を否定することではなく かえって実存に担われてあることである。このような実存こそは愛である。