「人間」になるほどの者は、親や先生の人間観念を否定しなければならない。それほど、親や先生というのは ありきたりで、「人間」を見いだし生きる障碍になる「観念」しか教えないといっていい。 

 

 

 

 

聖人君主(なろうとも思わないが)でもないかぎり、自己肯定は、或る方向においては他者の否定もふくむ。 否定されるほうにも責任がある。魂の凍るような言動をしておいてそれに気づかないことだけは、止めたほうがよい。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別事 

 

ハイデガーを読んでいるが、べらぼうに易しい。どんどん読める。この外国の思想家を、ぼくは人間的には評価しないので、この人物の書物の上に、志賀直哉や中勘助の本を置きたくない。机の狭いスペースをどうしようかと迷っているところ。

 とりあえず、閉じたパソコンの上でふたりの本を読んでいる。パソコンの上にもハイデガーの書物は置けない。