対人関係において、あからさまにでなくとも微妙に感じられることが いちばん大事で決定的である。あからさまに無礼なのは問題外であるから、相手の本音は、建て前を押し立てながらの微妙なニュアンスのなかで感じられるものである。そこで意味されているものをまともに汲んで、それで相手を受け入れられるかどうか、それが決定的なことである。決裂などもそこから起こるのであり、建て前が綺麗であればよいというのは、通じない詭弁である。人間は、自分を深層心理まで省みて、どれだけ心を正せるかで、価値が決まる。 

 こういう純粋感覚に属する判断は、たいてい、表面しか問題にすることのできない世間では、いいように言いくるめられて、観念的だとか偏見・誤解だとかされる。それは逆であって、真実はいつも観念に覆われ見えにくく、それを察するのは つねに少数の者である。