言葉というものはどこか規準想定的なものをもっているから、そういうものから意識してじぶんを解放し、自分になりきる必要がある。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは別事であるが、ミケランジェロが描いた「最後の審判」のような人間二分化は、やはりあると思う。しかしこれを知ったら、世間などに入る気はなくなる。人間の半分は想像を絶するくだらないものだ。それを知ってうんざりするということが、いままでぼくはなかった。ぼくは相当の世間知らずで生きてきた。これが、他とぼくを隔てるものである。これを幸福におもう。なぜなら、知ったあとでも ぼくはかわらないから。