「 「こいつらのために働いて、なんの得になる?」
・・・
・・・ 芸術の表皮の下に浸透して、その心をつくことは、ほとんど不可能である。彼らにとって、芸術は肉でも血でもなく、文学なのである。彼らの批評は概念で組み立てられ、頑迷で、彼らの好奇主義(ディレッタンティスム)から抜け出せない無力さを示すだけである。たまたま、芸術の強力な響きに共鳴する者があっても、それに耐えるだけの力がなく、実生活では、調子の狂った存在になってしまう。・・・ ――それでありながら、現代社会では、芸術はこれらの変態者を無視できない。なぜなら、彼らは金と新聞雑誌を所有しており、彼らのみが、芸術家に生活手段を保証できるのである。・・・ おのが芸術の内面のおののき、おのが内部生命の秘密をかけた音楽を、娯楽用に――むしろ退屈しのぎに、あるいは、新たに退屈するために――社交界の夜会や、新しがり(スノブ)の大衆や、くたびれた知性人に、提供しなければならない。
クリストフは真の聴衆、芸術から受ける感動を、生からの感動と信じ、貞潔な魂をもって、それを受け止める聴衆を求めていた。」
『ジャン・クリストフ』第九巻