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原口統三(1927-1946)

「 君たちは、信仰を持たないと公言して誇らしい顔をするが、それは少しも自慢すべきことではない。
 僕は信仰を尊敬する。何故なら、信仰はお喋りをしないからだ。
*

 僕は黙っている海が好きだ。波の穏やかな日の海が好きだ。
 けれども僕が、語らない海を愛するのは、それがすばらしい語り手であることを知っているからだ。」 
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「人間によって生み出されたもの〔ここでは「契約」〕が人間を支配する。
 現代人は己惚れた奴隷である。」

「真の明晰さ〔原文では「晰」は別字。傍線は傍点〕は清いものである。それは利己主義者のように「所有」を受け入れはしない。」

「精神の世界にも唯物論は住んでいるのだ。すなわち、ありとあらゆる表現は、精神界における物質である。言語は物質である。」

「僕はいつでも、だれにも知られぬ孤独の中にのみ誠実さを見いだすのだ。」

「 僕の代数の公理は「純潔」の一語であった。そして、この公理に違うものはすべて誤謬にすぎなかった。」

「思想の価値は、表現方法を舞台とする巧妙なかけ引きと、騙し合いと、を経た後に、一つの契約として登場する。
 今日、思索を政治だと考えられぬ者は愚の骨頂である。そしてまた、政治家であることに誇りを感ずる思想家も阿呆である。
 僕は政治家ではない。僕は〔そういう〕価値そのものを抹殺する。」

「 まことの個性は、沈黙したものである。それは疑いなく僕の中に住んでいる。僕にとって「個性の奪還」という言葉ほど笑止なものはない。人々は、個性とは、口をきくものだと思っているのだ。」197

「 僕はランボオのあの、表現への容赦ない不信と、烈しい意欲とを含んだ、言葉を思い起こす。
 ――やがて、宇宙的言語の時代が来るであろう。それは、音・色・匂い、すべての陰影を要約して魂へと通ずるであろう、と。」194

――「二十歳のエチュード」より(順序不同)――


 孔子と老子を卒業し、パスカルにもニーチェにも飽きたらず、「ゲルマン人の思考の仕方は、城郭を築いてその中に安住する」と喝破した彼、原口統三(「僕は、ドイツ人の太い地声に、「明晰ならざる」ものを嗅いだ」と言い、フランスの詩人ランボオ、ヴァレリィ等を好んだ)は、昭和二十一年「十月二十五日深夜、神奈川県逗子海岸にて入水。十九歳十か月。」と年譜にある。本書の出版時(昭和27年)は既にパリに在った森有正(昭和25年渡仏)が「エチュードの最初の読者」となったそうだ。最大級評価の前文を書いている。この本もまったく、黒澤作品と同様、異変前後をふくめて久しぶりにきょう繰った。繰って目にとまった、以前線を引いていた箇所を中心に、ここに(記念として)書き留めた。きりがないだろう。彼は、自分が生き得たなら穏やかな家庭生活者として生きただろうと言っている。 いま、脈絡なしに、なるほど、彼はヴィトゲンシュタインとも同一本質があったかもしれないな、とふと想った。〔関係ないが、各章句下に固有番号が振ってある。気づいた箇所だけ記した。〕
 むろん、ぼくはこの書をふたたびひらいて安堵した。ぼくにも朋がいるのだ。会う必要もないほどの。だから彼が生きていようがいまいが関係ない。生者いじょうにぼくには「かれ」のほうが「存在」している。「実存 現前」とはこれである。〔無論、ぼくは彼ではない。ぼくは「健康な自殺者」の理解者ではない。〕

 ぼくはきのう、日付ではきょう、裕美さんのすばらしい表情をとった。そのことで いま二重に安堵している。「ぼくは思想になど興味はない」と表明している。裕美さんの「黙った」演奏と表情からつたわる「真実」いじょうに、どんなものもぼくには説得力がない。みんなほらをふいている。「だまって」「真実」をしめせ、これが二十世紀最大の言語分析哲学者の人生確信でもあった。
 そういうところにしかぼくは真実をみいださない。裕美さんが大大大すき これがぼくの直観であり、これを心底まじめにうけとれない曲学阿世(なんという適語だろう!)のやからと交際などまっぴらごめんである




  
 
 

 



 

 

 

 

 

 



 彼の書をきょう手にとり繰ったのは、ある文をふと思いだしたからである。旧制高校の一情景が書かれてあった。生徒総会で、自分らの学校で、人生思索上でのゆき詰まりからの自殺者が他校とくらべてすくないことが〈問題〉としてとりあげられ、「精神的堕落だ、自殺者をだせ!」「自分がまず黙って死ね!」というような応酬があったことが書かれていた。それを思いだしたのである。  いま蔓延している「じさつ」はなんだろう





「道標がなければ人々は動けない。・・・ われわれはどんな道標をも無視することができる。――純潔の名において。」 156

「悪魔は、傑れた歴史家であり、社会学者である。
 それは、いつでも「一般論」の網を張りめぐらして、僕の飛翔を妨げようとする。僕には、こいつを追っぱらうには、一たたき、羽を動かすだけでたくさんだった。」 13(Etudes II)





補遺

森有正の前文「立ち去る者」を再読して、はっきり、ぼくは原口でも森でもないと思った。両者を了解しないということではない。ぼくには、両者と異なる、ヤスパースと高田博厚がいる。読者は、森の前文を読んでそれを了解するだろう。
 ただ、原口はその明晰で直截な直観性により、ぼくには親しい。これは森も理解していることであり、その理解は、近代精神史とのつながりで原口を了解していて有益である。この前文は森の初期道程の頃の雰囲気を感じさせるが、それだけ一層、ヤスパースの「歴史性」の次元への志向が、観念的に明瞭に確かめられる。ぼくとしては、ヤスパースの「歴史性」と森の「経験」を重ね合わせるぼくの把握の仕方が、その枠とパースペクティヴにおいて妥当適切であることをあらためて確認するとともに、かれらの思想、高田博厚の思想の、「人間」思想のための根源性をたしかめた。
 原口の思想 むしろ感性は、ヤスパースの「絶対的意識」の本質的理解のためにも、たいへん重要であることは、はっきりとしている。


 森は、要するに、近代的自我の自覚史は、本来の「人間」と「神」の忘却の過程であったと捉えているのである。そして、個人がこれに気づくには、大変な内的感性の力量が要る、と。この点で、原口の自己感覚に感歎するのである。しかしそれを指摘する森の構えは、自らのキリスト教への信念に、遠慮なく凝り固まっており、ぼくには拒否感がある。近代的精神の観念性を告発する森の視点そのものが、ひとつの凝り固まった遠慮しない宗教的観念性を帯びているのである。森が、この後対決してゆくのは、まさにこの自分自身の思惟の克服されていない観念性であり、そこから「経験」の思想を紡いでゆくであろうことが、予感される(滞仏時代、森は、パスカルよりむしろデカルトへ傾斜し、アランを、「サルトルよりはるかに多くのことを教えてくれる」と敬するようになるのは、「前文」と著しい対照をなしている)。〔渡仏して、高田先生との初対面で、「僕はパスカルをやっておりますが、カトリックではありませんから。」と自分の方から言って、失笑された森氏である。〕

 高田先生が森氏の「バビロンの流れのほとりにて」を送られて読むのは、「エチュード」出版の五年後である。