いわば寓意的な象徴的解釈を、客観的でないということで拒否するならば、この世に有意味的(人間的・魂的)なものはなにも存在しないことになるだろう。魂的に生きているかぎり、象徴と寓意の世界に生きているのである。この世界はだからといってただ主観的なものではない。ほとんど任意を許しそうで、けっしてただ任意による世界なのではない。注意すべきは、ここから、所謂精神世界者のように、逆に無批判的公式に陥らないことである。 

 

 意志と感覚の和合するところに、真の象徴性の次元が開かれる。 信仰が探求的で開かれてあるところにのみ。 

 

 

 

 

 

 

 

 〔前節と関連〕