「 「・・・ ぼくはね、小説を読んだこともない女たち、芝居を見に行ったこともないパリの娘たち、政治にまったく関係しない人間――知識階級を君が見たけりゃいつでも見せてあげるよ。君はぼくらの学者も詩人も見たことがないんだ。黙々として全力を尽している孤独な芸術家も、革命家の燃えさかる火も、見たことがないんだ。一人の偉大な信仰家も、一人の偉大な無信仰家も見たことがないんだ。・・・ みすぼらしい住居の中で、パリの屋根裏で、沈黙した田舎で、善良で誠実な心の人間が、平凡な一生の間、真剣に考えつづけ、日ごと献身しつづけているのを、君は知らないのだ。――これこそ、フランスに常に存在していた小さな寺院なのだ。――数においては少ないが、魂において偉大な、ほとんど知られていず、表に見える働きもしていないけれども、これがフランスの力なのだ。選良だと自称しているやつらが、始終腐敗しては、また新たに出てくるときに、この力は黙々として、そして続いていくのだ。……幸福でありたいために、どんなことをしても幸福でありたいために生きるのではなくて、自分の信仰をまっとうするために、あるいはそれに奉仕するために生きている一人のフランス人を見たら、君はおどろくかい? ぼくみたいな人間が千、万といるんだ。ぼくよりももっと値打があって、もっと敬虔で、もっと謙遜な人間が、死ぬ日まで、けっして放棄しないで、一つの理想に、こたえてくれぬ神に、仕えているんだ。倹約家で、几帳面で、勤勉で、落ち着いていて、心の奥底に炎が眠っている、細民階級を君は知らない。――この犠牲になった民衆が、貴族階級の利己心に反対して、昔わが『国』を守った、青い目の老ヴォ―ヴァンなのだよ。・・・」 」   

 

 

「 クリストフは、彼の時代のフランスの詩人や音楽家や学者を活気だたせている、理想主義(イデアリスム)の巨大な力を発見した。一時はやっている大家どもが、その下品な肉感主義を宣伝して、フランス思想の声を聞こえなくしてしまっているとき、フランスの思想は、そのような下劣な輩のうぬぼれた叫び声に対して暴力をもって戦うにはあまりに貴族的で、ひたすらおのれ自身とおのが神のために、熱烈な専心的な歌を歌いつづけていた。外界のたまらない騒音から逃れようとして、最も深い隠れ家、おのが城塞の中に引っ込んでいるかのようでさえあった。」  

 

「 この詩人たちは、・・・ 魂の中心にたてこもり、神秘な幻の中に引きこもっている。そこでは、形体と思想の宇宙が、さながら奔流が潮に流れ込むように吸い込まれて、内部生命の色に染められている。宇宙を創造しようとして、おのれの内に閉じこもっているこの理想主義は、あまりに執拗なために、かえって一般に近づきがたいものとなっていた。」 

 

 

        『ジャン・クリストフ』第七巻   

 

 

 

 

 

 デカルトなど全然読んでいなくともデカルト的に生きている庶民がいるのがフランス、という森有正の言葉をも、おのずと思い出す。