すでに書いた、裕美ちゃんのあのステージでの演奏は、何度観ても、すばらしいというか、すごいというか、完全に強い意識と意志で構成を完成させたものを、渾身の精神力で弾いている。われわれがうっとりと感動する裕美ちゃんの優美な演奏は、聴き込んでその細部にまで感心するその程度に応じて、いかに完璧な精神の緊張力によってそれが可能になっているかをわれわれは理解して、彼女の人間を尊敬せざるをえないことを学ぶ、そういう演奏である。聴いてそう思ってきたが、そのことをぼくは今回、まがうかたなく確かめた! その演奏の様子と表情、手指と腕、体躯の、筋肉的緊張力に充ちた運動を「観る」ことによってはじめて、そうでなければ魔法のような感覚と熟練によって紡がれると感じるに留まっているわれわれの彼女の音楽の印象を、その演奏のいかなる魅力と味わいも、極微の細部に至るまで、妥協の皆無な精神の労苦を払ってはじめて生じているものとしてわれわれは理解し、われわれのなかで謂わば「印象革命」が起こるのである。 こうして、ぼくは今回、彼女の「My Baby Grand」の曲の演奏の聴き方を、はじめて学んだ。 というのは、この曲は、いままで、他の、彼女によって演奏される曲たちが、直接に天上的な崇高さを感じさせるなかで、ぼくには、そのアットホームな雰囲気のぶんだけ、どこか特殊に地上生活的な空間質を感じさせ、たとえば「もう少し あと少し」や「君がいない」のような、星空の世界そのものに魂を連れていってしまう神々しく清澄な演奏を聴いたあとでは、別の地上的次元に属する曲として、その前までの感動をじぶんのうちで保っておきたいために、そこで続けて聴くのを止すことの多い曲であったのだ。 それが、今回、裕美さんのこの曲を弾く真剣な様子と気魄を目撃することで、この曲演奏へのぼくの意識は、革命を起こされた。 このことをいま、彼女の人間と人格に、ひたすら感謝する。なんてすばらしいひとなのだ、と。