きょうという日、鎌倉にぼくはいなかったことをわすれまい
ぼくはきょうは機嫌がわるい
埼玉)彫刻家高田博厚の遺品、東松山市に寄贈へ
大脇和明
2017年11月30日03時00分
文豪ロマン・ロランや詩人ジャン・コクトーらと交遊した世界的な彫刻家高田博厚(ひろあつ、1900~87)が神奈川県鎌倉市に残したアトリエが閉鎖されることになり、ゆかりの東松山市に遺品が寄贈されることになった。12月2日に鎌倉で遺族や知人ら関係者によるお別れの会があり、市への寄贈が改めて表明される。
高田博厚は石川県生まれで福井県育ち。旧制中学時代から文学や哲学、美術に傾倒し、上京して彫刻家高村光太郎らと出会い彫刻を始めた。31年に渡仏。ロマン・ロランやジャン・コクトー、画家ルオー、哲学者アランらと交遊しながら西欧彫刻界で評価を得た。
57年に帰国し、鎌倉市稲村ガ崎にアトリエを構えた。真摯(しんし)な写実と知的で詩情ある作風で、代表作にはロマン・ロラン、ルオー、川端康成らの肖像がある。
86歳で死去。鎌倉のアトリエには、高田の彫刻作品や絵画、デッサン、ロマン・ロラン、アランの献辞入り書籍などを含む数百冊、彫刻台やヘラ、イーゼルなどの道具もある。没後30年を機に、遺族がアトリエの閉鎖を決めた。
東松山市との縁は、今年2月に94歳で亡くなった元市教育長で詩人の田口弘さんが、高田と親交のあった国文学者で俳人の柳田知常に師事し、高田と出会ったという。以来、田口さんは東松山市で高田博厚彫刻展を開くなど親交を深めた。市は86~94年には高田の彫刻作品32体を購入し、高坂駅前約1キロの通りに設置。「高坂彫刻プロムナード」として観光資源化を図っている。
高田の義理の娘、大野慶子さん(80)は「父が亡くなって30年。東松山市の方々の熱意に父も生前に感銘していた。アトリエの遺品すべてを東松山市に寄贈できることをきっと喜んでくれています」と話した。
お別れ会は鎌倉のアトリエで、慶子さんら遺族のほか、東京芸大名誉教授で文化勲章受章者の洋画家野見山暁治さん、女子美術大名誉教授で洋画家の入江観さん、小樽商大名誉教授の高橋純さんら関係者だけで行われる予定だ。(大脇和明)
この(先月30日午前三時配信の)記事に向ってぼくは自分の底から「ばかやろう」と叫んだ。ぼくの高田先生への思いはほんとうらしい。先生の写真に向って叫んでいた。どうしてこんなことを許したのだ。運命にはさからわないだと。死後においてもそうなのか。いいかげんにしなさいよ。あなたはもうさからう権利がある。そう思ってさけんだのだ。ろくでもない文士たちが世間受けに乗じて記念館をつくっているのに。
家族も解放されたかったのだろう。この世でいちばんの弱者だ。
きょうは、あの家族から先生が解放されて「われわれの存在」になった日だ
いま午後八時台だが、向こうの「二次会」の気焔がこちらまで伝わってきているようで、ぼくも爆発している。 箸の一組でも折ってやりたいわ(実際もうすこしで折ろうとした)。じぶんでもふしぎなくらいの剣幕である。