創造主と神との対立は、価値観の対立である。そして人間はこの二つの価値観をともに持っている。どちらかを捨てるのではなく つねに自らの内でこの二つを対決させている。ゆえにそのつど決断をして どちらかを選びとるのである。そして選びとったものを全魂で引きうける。それが、選んだものの価値を肯定することである。価値の肯定は主体的実存的なものであって、己れの全人格、魂を、懸ける「行為」である。それは距離をおいた価値判定などではまったくありえない。自分を懸けて真剣になれないのなら選択すべきではない。「情熱」こそがすべてなのである。「価値」を認めて選択したら、つまり創造主と神との原理の間でどちらかの原理を犠牲にしたら、選んだものに「真摯な情熱をもって関わる責任」が生じるのである。それを、創造主の側も神の側も ともに注視している。それが、二つの原理・価値観が つねに人間において対立していることの、主体的な意味である。 自己肯定とは、「真摯な情熱」なしにはまったくありえない。「決断」とは「情熱(熱意)そのもの」であって、これのみが路を開くのである。