人間平等主義を廃棄する。馬鹿には馬鹿の世界観があって、他者の言動もその世界観に従って解する。そういうものに付き合っていたら大変である。 折り合いがつくということは絶対にない。

 

 

集合容喙現象が、人間一般の真理として、それに疎いぼくに教えてくれた。 

 

 

「人間となる」ことは、差異を認識することである。

 

 

現実の世界とはそういうものだ。 

 

 

こういう基本的なことを きょう 思いついた。 それくらいぼくは度を越した平等主義者だった。 

 

 

 

これもまた知覚、判断矯正である。 反省力の有無は人間をまったく分ける。

 

「馬鹿」などという言葉を言うことは、ぼくにとって相当勇気の要ることであり、それゆえ避けてきたが、反省の世界を知らない者はやはりぼくとはまったくちがう者たちなのだ。これを認めないことは、ただぼくを苦しませることにすぎない。

 

 

 

 

 そしてぼくが、いちばんどうしようもない者たちだと思うのは、真面目な主題をぜんぶおしゃべりの具にしてしまう、このブログ界でしゃべっているような者たちである。それだけわかっているなら自分の生き方をまずあらためるべきだ! 心底ぞっとする。 けっきょく、そのような庶民たちだけでなく、相当数の「インテリ」たちも、そういう類と同じである。この国の知識者たちがどれほど貧弱か、外からはとてもわかるまい。そしてこの者たちは、なにかというと、謙虚ではなく、話にならない安っぽい謙遜の仕方をする。これほどの責任逃れはない!