高田博厚 講演 (27日 「美術の本質」【高田博厚】 1984(昭和59)年 ) を聞いていただくために、しばらくぼくは書かないことにします。 

 

〔3日で20接続。文化は少数者が作る、と先生が言ったのはほんとうだね。 30日〕

 

 

 

 

 

 

 

別事 

 

 

人間は、本物になるまでは、何を言っても偽物である。偽物が正しいことを言えるはずがない。正しいことも、偽物が言えば偽物となる。偽物が他者の評価などすれば それだけで地獄へ落ちる。偽物がどんな言動をしても「罪」なのである。 本物になるしかない。本物とはなにか。それをこの欄でずっと展開しているのである。

 

 

解 

 

分野を問わず大芸術家はしばしば大衆を罵倒する言葉を発している。これは彼らが傲慢だからでも粗暴だからでもない。本来、芸術は、謙虚と繊細を絶対条件とする。それに反するかのように一見思われるかもしれない、彼らの〈暴言〉は、彼らがいかに大衆から傷つけられてきたかということ、彼らの納得のゆかなさの、気持ちの表現なのである。そのことを、ぼくは自分のこととして解ってきた。

 

〔彼らは無論、「大衆」という一般的なものを憎んでいるのではない。個々の、顔のある憎い者を、自分と同等扱いしないために、「大衆」という一般的なものに従属させて観じているのである。これは、軽蔑するということの構造方式である。言葉自体は、「大衆」でなくてもよいのである。〕

 

〔大芸術家の根源は「人間」であることである。ここにおいてぼくは大芸術家の気持ちを解る、と言っているのである。〕