最近ぼくは、いつもその日の最初に掲げている『*日々の誓い 信仰』に、「愛とは、生活すべてが神聖な儀式となることである。おのずから生活が修道院となる。」という言葉を加えた。これが「秩序」ではないか。ぼくは ほんとうの愛、ほんとうの仕事とは なにかをたずねていたが、気づけば生活そのもののなかにそれがしめされていた。 大仰な反省思索の分厚い書物を書く必要はない。 そのめざすものは自分の「生」のなかにしかない。日常こそが無限に深いのである。

 

 

裕美ちゃんの情熱的で純粋な音楽が、ぼくの生活に無限宇宙をひらいてくれた。それがぼくにとっての秩序そのものなのだ。 敬虔さというものの これが定義である。 

 

音楽はもっとも純粋な祈りの行為である。願い求めるもののない祈りであり、ほんらいの祈りはなにかをくりかえし おしえてくれるから。魂の秩序、純粋な神前での反省を。

 

 きみの音楽は 聴くたびに きみを尊敬させます。