裕美さんは厳密にこの意識態度でピアノを弾いていることが瞬時に納得できました。ぼくはきみの演奏の様子をそれはそれは注意深くみてきましたからね。 とくにきみの手が鍵盤をさばく際の、他の演奏家にはなかなかみられない繊細な、「神の神経」とぼくが思わず形容した独特の様子は、鍵盤のみならず自分自身の手そのものの存在も感じながら演奏しているところからくるらしいと合点できたと思えたことは、発見でした。

 

≪2台ピアノで初めてリヒテルと演奏したとき彼は私に

「もっと弱く もっと弱く もっと」と言うのです

当時の私にはできませんでした 

力みがあって自由に弾けていなかった

一年経って やっと分かりました

ピアニッシモが途方もなく 無限な世界であることを 

 

ピアノを演奏するときの

揺るぎない法則があります

手の自由な感覚と同時に

手の重みを感じること

そうすると 重々しく弾くことも

軽く弾くことも可能です

 

若いピアニストへのアドバイスは 

「鍵盤はタイプライターではない」

「ペダルは車のアクセルではない」ということ

また ピアノでうまく歌えないときは

声に頼ってみるといいです 

家でメロディーを歌ってみる ただし

ピアノで弾くように歌うのではなく―

歌ってみたようにピアノで再現するのです

そうすればフレーズが歌えます

それに楽譜の読み方

「楽譜を正しく読む」とはどういうことか

音符についた点やスラーで 作曲家は

何を表現したかったのか 考えねばなりません

スタッカートやアクセントを

単にそのとおりに演奏しても意味がありません

作曲家は 自分の意図をくみ取ってほしいと考え

音符を書いています

私たちは その意図を正しく理解し

応えなければならないのです

 

 

 

 

 

 

レオンスカヤ氏の演奏もとても「人間的」で、このような演奏はひさしぶりでした。「哲学的」と形容されるそうですが、蓄積され生きられている「思想」あって「人間」であるということでしょう。そのような思想は「感ぜられる」ものです。そうでなければ「芸術」はありません。