未記述の事実を簡略に記します。わたしの妄想ではなく物理的事実であり、この事実に基づく断定です。
集合容喙 加筆 (2016.1)」に移しましたので、くりっくして飛んで、或いはこのまま降下して、お読みください〔加筆し、今月の頁に移しました。〕

加筆部分のみ、読者の便宜のために再びここに戻しました(2. 6):

2016-01-11 23:01:27
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事実を簡略に記す。わたしの妄想ではなく物理的事実であり、この事実に拠る断定である。

2011年の正月、わたしは飛行機〔ANA国内便。ぼくは日本に帰国してからANAしか利用していない。JALは機内サーヴィスの際、保守系紙注文後にあからさまな感情的差別待遇を経験して以来、乗っていない。〕で急遽東京から郷里へ帰った。集合容喙現象により、件のマンションから移った住居にも居られなくなったからである。

既に薬害により正常な身体状態ではなくなっていたわたしにとって、この移動自体が大変な難事であった。

すでに記したことについてはこれを略す。

わたしが予約した飛行機は、当日のその場で出発時間も搭乗場所も機体も変更となった。

飛行機は不自然に何度も広大な滑走路空間を走行し、離陸するのに膨大な時間を あきらかにわざとのようにかけた。

これだけは繰り返しておくが、客室乗務員達は事情を知っており、互いに顔を見合わせながら わたしのほうを直接に見て、はっきり、「あのひとよ…」と、わたしがどういう目に遭わされているかを伝え聞いていると断定できる内容(言葉一つ一つをぼくは判明に聞きとっている)の会話をしていた。既に記したホテルのフロント係達の会話と同様に。わたしの被害妄想や自己意識過剰による思い込みの類では絶対にない。これが事実誤認ではありえないことは、件のマンションで訪問者がわたしの強制引越しの具体的日付までも知って口に出してはっきり語っていた事実の確かさと全く同様である。

わたしへの心理攻撃でしかありえないと思われる飛行機の不自然な運航は、同乗していた他の乗客達にも多大な心身の負担と迷惑をかけた。「降りたら病院へ行かなければ」と話していた乗客もいた。〔「権力」は、個的で特殊な意図のために他の「無関係」な市民の迷惑に配慮することはけっしてない。それが彼(等)-この場合はNHK権力者とそれに合わせる社会組織-の〈人間感覚〉であることをわたしは繰りかえし知った。〕

郷里の飛行場へ着くと、実家に帰る前にわたしはタクシーで予定されてあったホテルに一泊すべく向った。タクシーは同じ山道を堂々巡りしているのがはっきりわかった。おかしいと言うと、「われわれを信頼していてください」と運転手は奇妙な返事をした(あきらかに言いきかせるような意味深長な雰囲気であったのが、鮮明に記憶に写し刻まれている)。飛行機での長時間引き回しの延長だと感じた。予定の山の上のホテルに着いた時、真っ暗な夜になっていた。ホテルでもおかしな現象が夥しくあった。一つだけ記す。わたしが泊っている部屋の窓から駐車場が見晴らせるのであるが、中央に一台だけ停まっている車がちょうどわたしの部屋へ正面を向けており、しかもヘッドライトを点けて照らし、故意にわたしを威嚇しているとしか思えなかった。同様の現象は他に夥しくあった。すべてを、状況を知らない第三者に説得的に記すことは至難である〔小説じみたものを長々と書かなければならないだろう〕。どういう感情をわたしが受けたかは読者のゆたかな想像力にゆだねる。わたしは確かに伝えられる「事実」のみを選んで伝え、報告が混沌とする印象を与えないよう極力神経を用いている。このあたりでわたしも心理的に限界なのでやめる。おぞましい異世界の経験の記述にとても精神がもたない。

これらすべては、それに関わった者達の様子印象からも、社会の裏の権力者達の共通合意でその傘下の社会人達を手足として事が運ばれた現象であることはあきらかだと断定できる。その指令者が当時のNHK会長であると、わたしは判断している。社会権力者達の連絡で準備実行された、わたしに加害目的で強薬を強制するに至った悪事の一環であった。社会の善悪を決めるのは彼等の恣意と都合であり、集団容喙連を使って目障りな市民を葬っていることの傲り不遜が、日々の彼等の一般市民への態度言動に表われていることに、様々な機会にわれわれは気づくことがある。〔しかも厄介なことに彼等は正真正銘の悪魔霊界とも結託しているらしい。〕

(今度NHK職員が薬物違法で局自体が警察の捜査を受けているようだが、〔・・・〕 悪い連中はすべてつながっている。それが社会の実態だ。そう断定してよいと思う。人間生命など問題にしていないから戦争が起こる、戦争を起こす。)





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16日

あらたに記す。いま当時をふりかえり、気に引っ掛かっていた様々な印象(人物達の妙な言動)から、どうもあの東京新宿区のマンションは、社会の裏では知られているスポットだったのではないか、ぼくの周囲の者達はかなり知っていたのではないか、という気がする。マンション内の住人達の或る者は半ば洗脳され、ぼく等の監視役となり、或る者は実情を知っていて恐れ気の毒がっていたのではないか、と思われる。
 思考操作社会はもう現出している、ということは、明確かつ膨大な経験から確言できる。
  このぼくが、そう確言しているのである。


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此の世の精神病理学 

子供はまだ人間の重みというものを解さないから、純粋さが生命である。自覚のない子供は同時に悪魔がもっともとりつきやすく、その〈軽さ〉によって人間にたいし最大の侮辱者となる。あなたがたはわからないだろうが、この身体状態で、あの共時性言動を子供に感情的にやられては、こちらの感情も影響を受けないわけにゆかない。ぼくは客観的に共時性事象が感情に与える事実を観察的に言っているのである。無益で破壊的な事をやるのが悪魔である。その無益で執拗な意図が解らない。
 客観的世界が明らかにおかしくなっているのである。このことをしっかり認識していなければならない。そのことによって、こちらの冷静さが保たれる。此の世にたいして、精神病理学者になるのである。それが今日の貴重なあらためての教訓である。― 事実を言うと、さきほど、長年使っていた愛着のある皿を不手際で家の中で落として割ってしまったのである。それはそれだけのことで、尾ひれがつかなければ済んでいたのだが、その際の外(細いが通学路の一つになっている)での子供達の共時性言動が尋常ではない(勿論外から家の中は見えない)。ふざけた劇場にとり込まれているのが信じられない。この種の事はもういろんな機会に夥しく経験してきたから、「またか」という気持しかないが、あらためて、いまの此の世の現象の不自然で無益な意図性(これを不自然と解さぬことこそ不自然だというのがぼくの夥しい経験の示すことである)に腹が立った。もちろん、子供達だけを手足として起るのではない。子供が一番無遠慮な手足となりうるのは事実である。そういうことにたいし、いまのぼくの状態で自分の精神独立と尊厳を護ることが、ぼくの自分への義務なのである。