2011年08月03日(水)
久しぶりに♪の巻
テーマ:musicCDのレコーディングや、昨年11月のコンサートでもお世話になった
『阿倍野区民センター』のコンサートホール
声楽のコンサートにご招待頂いたので、
久しぶりに行ってきました
ホールの扉を開けた瞬間、懐かしい匂い
色んな事を思い出しました
前方の席に座ろうかと思ったのですが、
何だか緊張してしまって、真ん中の席へ(笑)
全体を見渡せる席に座り、
素敵なホールだなぁ…と、改めて思いました
またここで弾きたいな
今回の演奏会も、とっても楽しかったです
素晴らしい歌声を聴きながら、
優雅な夜を過ごす事ができました
では、また
『阿倍野区民センター』のコンサートホール
声楽のコンサートにご招待頂いたので、
久しぶりに行ってきました
ホールの扉を開けた瞬間、懐かしい匂い
色んな事を思い出しました
前方の席に座ろうかと思ったのですが、
何だか緊張してしまって、真ん中の席へ(笑)
全体を見渡せる席に座り、
素敵なホールだなぁ…と、改めて思いました
またここで弾きたいな
今回の演奏会も、とっても楽しかったです
素晴らしい歌声を聴きながら、
優雅な夜を過ごす事ができました
では、また
彼女の人柄がよくあらわれていますね
そのごコンサートの機会はあったのかしら
弾かせてあげなよ
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ぼくの定位
直感のみで自分を導くひとがいちばん強い。
理屈に呑まれる者が一番弱い。
ぼくはその間だろう〔思索者は皆この両面をもっているといま感じている〕。
妙だと感じながら理屈感情で動揺することがある。
そこからふたたび原初的直感の正当を見出し堅固に確立することがぼくの思索反省なのだ。
そのぼくは孤独と愛のふたつをともに肯定する
愛情と憎悪をともに抱えている
他者達が多分或る面では肯定し他の面では疑問視するときでも
ぼく自身は分割しえないぼくのすべてを全的に生きている
生ききることなのだ 意識しつつしかし意識で統御せず自分の魂の本音を
自分を肯定も否定もせず しかし自分を包括的に信頼して
そして時至り自分の「形」を見出すだろう
自分に忠実であるほど他者に忠実なのだ
この創造的な不断の蘇生をぼくいがいの誰が見とどける?
自分に忠実であるようにぼくはこのひとにも責任を負っている
かつて数度その空間におもむいたそのひとに
最初から告白していることである
ぼくの真が いまの他者等にわかるか
ぼくの根源の全体に関心がもてぬ者は去りたまえ
高田博厚に忠実であるぼくを尊敬する者のみが ぼくを信頼するだろう
根底においてぼくは志と積み上げてきたものが ほかと違うのだ
このようなぼくが彼女を愛するからこそこの愛は価値があるのだ
そこに唯一のぼくの落ち着き場がある
そのようなぼくしか彼女は尊敬しないだろう
高田邸
天才と魂の者は孤独である。自分の本質のために周囲に合わせることはできぬから。それほど 天才が何処でも稀なように 魂の者は実際日本では稀である。ぼくは天才には関心はないが魂の者である。日本風土で稀であることを知っている。デカルトを傲慢であり嘘で固めていると平気で〈評する〉のが日本のありふれた「猿知性」である。そんな水準でフランスの知性は想像すらできない。
きょう6日の姫椿 年末の蕾が寒い小雨のなか葉の蔭でやっとこれだけ開きました
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それにしても・・・ぼくが集合容喙現象とよぶ範疇でおかしなのに、ぼくの気にもしていない記憶のなかから一要素を引きだしてきて あてつけがましく任意の他者に再生させるというのがある。これはぼくが夥しくはっきり確認したことで、自然の偶然ではないと判断している。どこがそういうことをしているのか知らないが、いまではそういう(精神程度的に話にならぬ)不思議現象も慣れてしまって、仕組は知らなくともPCでいろんな操作ができるのを承認しているのと同じ位の受けとめ方になってしまった。人生で大事なことはほかにあるのであって、いつまでもそういうことを仮想的に詮索しているほどぼくは暇ではないということ、わかったか。
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この欄世界でも殆ど人付き合いのないぼくではあるが それでも過去に偶々見知った欄者のなかに消息が判らなくなったひとが幾人かいらっしゃる。幸あれと念じている
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〔非常時でないかぎり人間は慎ましくあるのは存在論的秩序が要請するところである。これに反する者を嫌うのは存在論的感覚を根拠とする。これは哲学的・歴史的・宗教的にいくらでも詳論することのできる、しかしそれ以前に万人の心底において自明の感覚である。自分自身に向き合うことを知る者はすべてこのことを得心している。心理学的分析事ではなく哲学的反省事である。こういうことはぼくのために言うのではなく、再びこういう言い方はしない。敢えて親切心で一言言ったのである。〕