客観的言辞は極力使わないようにすべきである。自他を一般的なものの事例にしてしまう言辞のことである。「科学」はこれをやるのが本質である。以前、自分で真理探求する境位になったら心理学はあまり役に立たないということを言った。この近代科学の一つは、科学として客観性を保つためにはやはりこの客観的言辞の世界をつくる。心理学者でなくとも一般人は今日平気で自他を社会学、経済学、生物学、物理学等の言葉をもふんだんに使って語る。これがどれだけ自己疎外を意識において引き起こしているか、一般はほとんど自覚もできないほどになっている。世相がおかしなことになるわけである。哲学学者はまだ多分人間性があるほうで、心理学教授などからしっくりした印象をうけた記憶はない。前にいると、自分が一般的なものの一事例として眺められているのが鮮明にわかる。科学的視点はけっして具体的人間にそのものとして関わることはない。「理解する」ということの境域が、根本態度が、ちがうのである。「ありのままのもの」に関わるのではない。科学の営為ではない哲学の営為(ありのままのものに関わろうとする)は、今日、芸術者の営為とひじょうに近い。

わたしがこの欄で自分を語る態度が同時に哲学的思想的であるために このことをわたしは基本的に意識している。


書くことは創造することである。創造する言葉を書かなければならない。