人に何を訴えたいかではなく、自分のためにどうしたいかではないだろうか。

他者相手は際限もないことである。 反対に、自分が自分のためにしたいことを考慮すると、即、焦点が定まってくる。それが「美の者」の道である。 もし、他者が自分のために(訴えに反応して)何かしてくれることがあっても、それで自分のほんとうが満たされるわけがない。 自分が他者のために何かしても、所詮、他者にとって、同様にその程度のものである。

一元的な愛、つまり「関係を超えた関係」のなかにいる自他でない限り、そうである。





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ぼくがむかつきを覚える者というのは、ぼくが個人的に気難しいのかと思いきや、他の人々はもっと、このやろう と憤懣をぼくよりもあからさまにしており、ぼくのほうがその感情の同じさに驚く、という経験をぼくは殆ど無数にしてきた。ぎりぎりまで我慢して平静でいるよう努めているのはぼくぐらいらしい。他の人々はもっと率直に陰口をたたいている。いつも、他の人々のほうからぼくに思いがけないタイミングで明かすのだ。けっしてぼくのほうから〔陰口を〕言ったことはない。
 だから、ぼくの主観的感情にぼくは段々自分でも信頼するようになってきた。
 ぼくが内心で睨(にら)んだ者は大抵おかしなことになっている。ぼくが呪うのではない。他でも同様なことをひろくやっている結果なのだ。


ぼくの心中は、世の愚劣な人間どもへの怒りで充ち満ちている。
〔ぼくがまともに相手にするからなのだ。人を観念で差別することを本気でやらない。怒りを「克服」しているつもりの者は、内心は差別心で充ちている。純粋な者にはできないことだ。怒りは純粋の証である。純粋で怒らないひとは深く傷ついているか祈りを知っているひとだ。いまのぼくは祈り(それを知っているが)で凌げるほどなまやさしい状態ではない。ぼくも思いっきり偏見をもてたらいい。愚鈍な者にはそれができるだろう、偏見の軽蔑が。いまのぼくにとっての「祈り」は、形而上的次元を信ずることそれじたいだ。12.1〕


此の世に生きる生命力の根っこを薬物強制によって断たれたことを実感している。このぼくの状態を想像もせず同情もしないで自己中言動をとるあらゆる者どもに、ぼくは愛想が尽きた。


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日本人もそろそろ「雑草の民」はやめて、フランス人のようになれとは言わないが、彼等から感得するものを参考に、もっと自立的にあかぬけなくては、自分の国からも敬意をいだかれないままずっといってしまう。国が国民を舐めているのは国民一人一人に責任がある。「お上」根性の存続で、自分達の国を自分達で創ったという歴史が庶民レベルで無いから、「人間尊重」でなく「国体尊重」の封建制がつづいている。だから庶民は国・政治を遠慮なく批判するようにはなったが、その「批判」はいつも無責任論調である。左も右も。本気でかんがえろ。フランス人が苦労して作り上げた快適なところだけに乗っかってどうするんだ。

〔先生は、「日本人には無い」フランス人の生活のあり方を素直に羨ましがった。たとえ一時的な儚い生活情景であっても「人間の夢」を日常のなかで生きることができる彼等。「美の夢」であり、日本人の〈目標めざして〉の夢ではない。ぼくも、あの地にいたときには普通に感じていたが、日本にいると羨ましい。特別なものではない美が生活のなかにある。美感覚が持続して意識的に積み重ね築いてきたものだ。 反対に日本人はいつから、人が「高み」をめざすと即座にけなしたりくさしたりするようになったのだろうか。「貧しい精神主義」は人間否定でしかない。〕



最大の悪は 純粋表象をけがすことである。 祈りによってしか浄化されない。意図的、非意図的を問わずこの世界はそういうけがしにみちている。だから人はそんなにも虚ろなのだ。俗になっただけ動じない大人になったと思っている。



他人相手の言葉はたくさんあるはずだが、その種の言葉はもう思い浮ばなくなってしまっている。そのうち自分にしかわからない言葉のみ記すようになるかもしれない。「一般の眼には、わけのわからない不思議な独り言に見えるかも知れない…」(高田博厚「地中海にて」)。ルオーも、絵でも文章でもそれをやっている。「ソリロック」。



自分にしかわからない美しい言葉を一行書けたらよい。



生死の境からの本物の言葉を書きなさい。これは別に力んだり悲愴になったりすることではない。たとえば青空を見上げている刹那、余計な生のことをかんがえていない。充分にメタフィジックになっている。生ではなく、生を超えたものを見ること。でなければ此の世は、此の世の未来がある生者だけのものになってしまう。此の世の光景で此の世を超えたものを見てくれなければ、ぼくはきみたちを恨むだろう。それは此の世において未来のない者を見捨てることだから。自分達の此の世的な未来のことだけを想ってはならない。一瞬後には死ぬかもしれないのだよ。




ほんとうに此の世の人間は俗まみれのような人相が多く、そういうものに不用意に遭遇すると途端に気分を通して体調が悪くなる。ぼくの身体状態が薬害結果により以前よりもっと敏感になっているからかもしれない。こういうことを本来はぼくは書きたくないのだが、いま書いて憤懣を爆発させているのは、自己治癒手段なのである。抑制せずにこういうことを攻撃的に書くと治ってくる。




外見と内心は一致する。一致しないなどと言う者は外見から内心を洞察する感覚が養われていない者である。「人間の美」とは、そういう感覚のある人々にのみ開かれる内外同一の境位である。



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中学の時だった。ぼくは自然で随分頭の回転もスムーズなほうだった。或る時、英単語の書き写し勉強をしていて、ぼくは正確にやっているつもりだったのに、意外にもいくつかアルファベット等の誤りに気づいた。人間は無意識のうちに誤るものだと思った。それ以降、ぼくは「正確さ」ということに意識的となった。「自然さ」に懐疑的となった。自分の意識そのものに注意が向くようになった。
もともと「子供らしくない」と言われていたぼくが、ますますそれらしくなくなってきた。
デカルトの「コギト」に相当するものを、知らないうちから経験していた。これは自慢のつもりではない。幸福ではない時期の始まりだった。熾烈な自己意識との闘いという。

この意識地獄は、二十歳前後 「信仰」感覚を習得するまでつづいた。「祈りによる意識放下(止揚)」を覚えたのである。これがぼくの〈透明な秘密〉である。〈透明〉というのは 純粋意識内的な葛藤だったからである。統覚的葛藤と言ってもよい。
 その頃ぼくがもっとも愛読していた書が修道士トマス・ア・ケンピスの「キリストに倣いて」である。読みながら涙した。キリスト教徒になったのではない。原型的な宗教的意識にめざめた感銘である。




金木犀の開花にはまだ時間がかかりそうだ。 裕美ちゃんは透明感のある太陽だな こんなに素直にきれいだと思えるひとには会ったことがない 秘めているものが全然違う





悲しみは癒えることはないとよく云われる。 ぼくに言わせれば怒りこそ癒えることがない。ぼくが記憶を保持しているかぎり。 触れてはならない人間に触れた罪は天ですら許されない。

此の世にいるようで いないような状態。ひとえに薬害結果の身体状態である。
最近「報告 〔重大〕 」がふたたびよく読まれたのはよいことである。もっと読みやすく整理すべきかもしれないが、その力がない。寛恕を請う。世の現実がここまで不自然にひどいことをするとは思わなかった。




われわれが、あたかも堅固な基礎を持っているものであるかのようにその上に安らっている、合理的世界と見做されている此の世は、けっしてそのようなものではなく、われわれの安心感そのものが虚妄であるような不気味な沼の如き世界なのである。そしてその根底は大悪魔と呼ばれるべき邪悪な破壊意志なのである。この意志は破壊するために創造することを繰りかえす。

合理主義的世界観は、われわれの意志による信仰にほかならないのである。このわれわれの意志は、この意志の上ではじめて数学的直線が、われわれがまさしく意志することによってのみ存在するところのものとして、可能となるような、合理的世界像の基体なのである。このことをアランはそのデカルトの主意主義的解釈によって既に表明している。合理的に生きることは、その根拠を対象自体に還元しえない、我々自身の雄々しい主体的決断に基づくひとつの敢行なのである。迷える森の中で自らの意志決断そのものによって途を見出すデカルトさながらに。




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昨日(11.30)はメーヌ・ド・ビランの誕生日であった。彼の哲学こそは、「もの」に即するフランスの緻密な実感反省哲学の原点である。わたしがそれ以前学んでいた概念形成的なドイツ哲学とはひじょうに異質なフランス的思惟は、そこに入ってゆくのに、まさにアランの思索についてゆくような実感反省の注意力と根気を要した。フランス反省哲学の礎であるビランの重要著作が今もって邦訳されない日本では、フランス思想の理解の質そのものが根本性に欠け、信用の置けない概説じみたものの枠を脱していないという思いをわたしはずっと懐いている。

 

 



 
 
『習慣論』〔『思惟力に及ぼす習慣の影響』(1800, 1802)〕。「フランスのカント」と評されるメーヌ・ド・ビランの初公開論文。
わたしの原書勉強の跡。全頁、他の書もこのようである。
ここにこれを載せたのは、このようなことを真摯に積み重ねてきた人間の生涯を横から勝手に潰した罪の深刻さを感じさせるためである。

題名から連想するかもしれないような安直な内容ではない。人間の認識力、思惟力の、厳密と細緻を極めた身体論的分析と総合の試みであり、「内的観点」と「外的観点」、ヤスパース的に言えば「了解」と「説明」の二方法を駆使している。具体的分析の手応えはたとえようもなく、わたしが大学の哲学概論でこれを扱った際にも、「習慣についてこんな深い分析ははじめて経験した」という率直な感嘆が学生から聞かれた。この論を経てビランはデカルトの超身体的コギトを実証的に再発見することになる。そこから、身体(動物)、自我(人間-努力-)、精神(魂-恩寵-)の三段階の生区分に基づいた独自の哲学的人間学を彼は構想することになる。わたしがパリ大学博士論文(「メーヌ・ド・ビランにおける哲学と宗教」)で扱った問題である。