Intimisme métaphysique  546


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私の言う形而上的アンティミスム(Intimisme métaphysique)は人間精神の本能を原理としている、思想を超えた思想、メタ思想である。それがいかなるものかはこの欄全体が証する。「過去」なしに「現在」も「未来」もない。「過去」は「現在」と「未来」の根源であり、〈永遠の現在〉である。形而上的に掘り下げられた過去(記憶)に、現在の主体である個的意志が関わり、未来をこの永遠の過去のなかにもとめてゆく。「魂」とはこれである。このことを高田博厚の世界は証している。現今の魂的・美意識的に劣悪な社会と状況にあって、この人間主義境位に向って私はみずからの全魂をもって自分を掘り下げ沈潜してゆく。






「海」(540)と「夢」(544)は、べつの世界あるいはほんとうの世界に、感覚の扉を開いてくれる



現今のスピリチュアリストは「神」との対面をいい加減にかんがえている。私のアンティミスム・メタフィジックは正統な哲学的意識に基づき「神」との対面を最も真剣に志向する。


僕はあまりに低められ過ぎたから、自らを高くする必要がある。たとえそれが復讐となって返ってこようとも。誰某を怨むという次元では最早ない。その背後で人間・自然現象を牛耳っている(周りの連中を傀儡に化している)得体の知れない此の世の不可視の構造そのものを僕は破壊し殺したいと思うのだ。それが創造主の本性であろうとも。此の世の現象は偶然に起っているのではない、すべてに必然性が、意図性すら感ぜられる。僕が怒りを向けているのはこれだ。創造主は神ではないという僕の判断はこの経験から来る。この経験と判断は本来のこの形而上的アンティミスムの理念には無かった。これはあたらしい要素である。


先日、キリスト者内村鑑三の〈肉〉の兄弟達が内村に向けた赤インクで書いた呪詛の手紙の話を聞いた。なるほどこれが〈肉〉の創造主の意志だ。僕は同様赤インクで創造主を呪詛し返している訳だ。




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2015.11.24

上の最後の記は良い。区ぎりがつく。