ヤスパースも著述で描いていることで、わたしも論考で指摘したが、人間は自分の意識状態や精神態度を或る一つの様態に固定することはできない。それが「時間現存在(Zeitdasein)において実存すること」の宿命、根本制約である。人間の自由も、すなわち愛も、事実においては解放と拘束をともにはらんだ運動(Bewegung)である。その全体においていかなる生が遂行されるかが問題なのである。悪による加害にたいして自分がどう生きるかという実存的問題においても、この特定の限界状況のなかで生じた決意そのものが、様相を不断に変転させる包括的な限界状況そのものによって、試練にかけられるのである。実存的運動の弁証法によって練られる ということである。悪による加害にたいし、ぼくはどう生きるか、ぼくはこの欄で証している精神行為で、いまの自分に出来るだけの積極的創造をもってこたえている。そのうえで、悪魔に裁きをもたらす気でいるがね。



ぼくは、ぼくに「事実的毒物」を(直接的に)強制した医師・栗原雅直を憎む気持はない。なぜならぼくの受けた被害は、それどころではない深刻なものであるから。そして彼はすくなくともぼくを侮辱はせず、対等に遇したからである。ぼくが憎み殺そうと思うのは、ぼくを精神的に侮辱する者である。これが人間の心理なのだ。侮辱することは魂を否定することである。戦場で無感情で殺し合っても、後で友情すら成立しうる。侮辱した者にはそうはゆかない。あるいは侮辱中傷と解しうる言動をとった者には。理性は平静を保たせるが、義憤によって怒りをも生じさせる。怒りと憎しみは異なる。心が澄んでいるから怒る。憎しみは心を濁らせる。失ったものがどんなに大きいか、その価値を感知する知性があるほど、悪を裁こうとするだろう。これを否定するのは偽善である。






2011年06月30日(木)

リフレッシュの巻

テーマ:holiday
疲労が溜まったり、身体が不調な時××;

そんな時、私にとって、
駆け込み寺のような存在の、
アロマテラピーのサロンがあるのですが…

肩こりがピークに達した昨日、駆け込んできましたあせ


いつも施術してくださっているセラピストさんが、
とっても素敵な方で、お話をしているだけでも癒されますハート



いい香りのアロマオイルで、丁寧にマッサージして頂き、
心も身体もリフレッシュできました笑い顔w



さぁ!!
暑さに負けずに頑張らなくちゃびっくり






では、またはあと





ほら、こんなに大変なんですよ、ピアニストの生活って。四歳のときからこういう生活してるんだね。 君たち(?)みたいに遊んでるんじゃないの。 人間の差がでてくるわけだ。格好だけつけてるような連中など相手にしてないってさ。 それで「客」に頭さげて相手にしてるんだよ。恥じて「人間」に敬意をもたんか。彼女のずっしりとした生活の重さ厚みを察したまえ。〔続〕