ぼくはニーチェ、サルトル以上に無神論者で、彼等は「神は死んだ」あるいは「神がいてもいなくとも同じこと」と言っただけだが、とんでもない、同じ(どうでもよい)-グライヒギュルティッヒ-どころじゃない、積極的に加害する意志をもっていることをぼくはたしかめた。だからぼくは「神を殺害する」と言っているのだ。悪魔に味方したじゃないか。ぼくをみすてたじゃないか。彼等以前に神を殺したのがデカルトだと言う論があるそうだが、デカルトは自分の神を立てるために外なる存在としての神を否定したのだ。くりかえし言っていることだが ぼくもそうである。ニーチェやサルトルのような「賢明」な者がこの区別に想到しないはずはないのだが、だからぼくは彼等はまだ娑婆っ気から脱しておらず、ぼくにはものたりないと言っておく。

ヤスパースもマルセルも外なる神にひれふしてなどいない。





アメブロも利用者の言う事をきくこともあるのか。11月18日水曜日までだと思い込んでいたが、どうも実感がわかないと試してみたら・・・ おぼえておこう。Je me souviendrai.


でもぼくのなかでは昨日まででした。くぎりがついていた。せつない気持にはならずにすんだ。これからはまたあらたな気持で。





アメブロ本のデザイン、わびしい東京タワーじゃなくて、夜景もきらびやかな神戸やスカイツリーにしてほしいんだよね。







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思い出したから書いておくが、「波動」というものがどういう実質か知らないが、歴史における人間で最も「波動」なるもの-〈測定〉の方法があるらしい-が高いのは、イエスでもブッダでもなく、マハトマ・ガンディーです、と報告したひとがいた。この報告したひとも、高波動所有者で、自分が触れたり念じると人の体が温かくなり、病気が治る、とみずから言って、病気治療をしているひとだった。全国から難病の人が来ていた。いまはどうか知らない。ぼくは一時関わっていたが、ぼくにだけは効かなかった。ぼくには他者の作用が入り込まないらしい。そのひとが瞑想すると、わあ 体が温かくなった、とほかの人はおどろくのに、ぼくはついにそういうことはなかった。ぼくには、催眠作用的なものにかからない意識質があるようだ。意識が全部ブロックしてしまうのだ。きっとそうにちがいないと自分で思う。
 寝なければいけないようだ。思惟がはたらいていない。


うーん NHKはやはりぼくの欄をみているね。そういうことかと後で気づくことがある。


これと別件だが、他者の〈まなざし〉は、自分がそれを意味的に「了解」したとたんに、自分を〈規定〉するものとなるのは、人間生活における深刻な事実だ。これから脱し得るか自分を護り得るひとは、「孤独に自分の神に面する」感覚のあるひとだけだ。人間の態度に応じて神には二つあることを了解しなければ、一律に神を否定することで自分をも否定してしまう。それほど、人間の真の自己定立には、「自分の神への関係性」が根本制約であり、そこから、他者の〈まなざし〉によってではなく、自分の神を通して自分自身で自分を規定することができるようになる。ヤスパースの言うように 超在への関係は実存の根本制約なのであるこれに基づいてこそ、自由な自己規定としてのその都度の意志決定を人間は為すことができる。人生の早い時期に「自分の神」の感覚にめざめることによって、その後の自己意識の蓄積が、自分の人生意識が、まるでちがってくる、とぼくは思う。(サルトルの自由論はこの根源感覚を殆ど反抗的に欠いているゆえに、何とも人間意識が幼いと思う。)

何とか書いた。






ヤスパースは少年期より哲学に魅せられていた人間で、夢で医師に死の宣告を受け、もはや何の生活建設的な努力も無意味となって、かえって、いまこそすべてを放擲して哲学に専心できると思い、そのほうが嬉しくて絶望を忘れてしまった、という思い出を述べている。ねがわくばぼくもぼくの本望でそうあればよい。






先日久しぶりに新潮アルバムで若い頃の志賀直哉をみたら、たいして僕と似ているように思わなかった。似ている者というのは瞬間どきりとするものだ。そのどきり感がなかった。おなじことは太宰治にも言える。この二人は嘗て自他共に僕に似ていると認めた、そういう人物だ。本質的印象に類縁性がある。実際その読んだ作品は自分の写し鏡のように感じた。いまは僕の精神はこの二人を遙か通り越してしまっている。それに応じて写真をみても相似を感じ難くなっているのだろう。不思議な比例感覚とは言える(勿論もともと僕は僕自身になるしかないのは解っていることだ)。西欧人でこのどきりを風貌から感じた人物は、リルケ、キルケゴール、ヴィトゲンシュタインだ。しかしもっとも相似を感じる人物はロシア人の或るタイプのなかにいる。親父は日本人離れした顔立ちの凛々しい美男だった(ブルーノ・ワルターに似ていた)が、遠くどこかでロシアに繫がってでもいたのだろうか、まったくの空想であるが。伯父はノモンハンで戦死した。僕自身は、解りもしないロシア文字やロシア語の発音に触れると、前世の懐に帰るような深い安堵感と懐かしさのような感覚をおぼえて自分でも不思議だ。無意識的なタルコフスキーなどの印象の影響だろうか。

〔親父の死顔は完全に神々しかった。遂に生身の人間を超えた表情になっていた。僕は咄嗟に、高田先生がアンドレ・ジイド臨終の際、在仏日本人代表として弔問し、ジイドの死顔から受けた深い感銘を述べた文章を思い出していた。「たいへんなことだなあ、人間もああいう顔になれるのか・・」と仲間と語ったという。〕


この過去節にいま付け加えたいが、志賀も太宰も父親との葛藤が創作の大きな要因となっている。これもぼくと共通している。しかし親父の死顔はほんとうに人間離れして神々しかったのである。人間の不純物が死に消えて「聖なるもの」が出ていた。人間に死んだのだから、贖われたのではないか。死によって償われた。だから生前のことは済まされたと思おう。ぼくはいまふとそうおもって この思いを書くためにこれを開いた。きょうはちょうど父の月命日である。(こんな異常な世界になる前に父は死んでよかった。)父が死んだのは6月19日、太宰の誕生日と死んだ日の両方と同じである。父とぼくの誕生日は同じ11月23日である。全く性格の正反対の 違う世界に最後まで生きて交わることのなかった二人が。〔これを書いていた時、ふしぎなことにPC画面に反射して 早朝の窓辺で遊ぶ小鳥の影が見えた。この場所に小鳥がやってくるのを見たのは おかしな世界になって以来はじめてだ。〕



夜が明け朝がきた