人間は、大抵自分のことで精いっぱいな状態なのに、それだからこそ そこからなお他者のことを判断しようとする。しかもそれだからこそ断定的に、〈審判〉をくだそうとしおる。憎まれ殺されるのが当り前だ。なぜならば、なるほどそのような断定はなんの妥当性もないものではあるが、その断定のエネルギーは、偽判断でも本性が無限である意志から、つまり これだけは万人において神に等しい本性をもつ意志(デカルトはこのことをよくみきわめた)から、生じるものだからである。このゆえに、ひとはどのような者の判断にも作用を受け、傷つき、怒るのだ。もし、ろくでなしの車掌の言動だからと達観することができ、いたくもかゆくもなかったとしたら、自ら受けた差別行為への悲憤からガンディーが祖国独立へ動くことはなかっただろう。




おい、俺への盗聴行為が先にあるのに、一指も出さぬ俺を殺した罪は、全宇宙より重いぞ。全宇宙より重い人生を勝手に無理矢理横から断った完全悪魔〔ああいうことを指令できる者は完全悪魔だとぼくは確信している。あの間その根性を徹底して経験し確かめた〕は絶対殺すからな。いかなる暴力団組長より悪いのは元NHK会長だ。当時(2009-2010)を知っている局員を吐かせれば、深刻な社会現象である集団容喙事件の真相がつかめる。警察と国はそれをやれと ぼくは本気で言っている。質実なアカデミック・エリートであるぼくがこういうことでふざけることは一切ない。あの局の事件関係者はいかなる人間の尊厳も顧慮しない連中だ。NHK局内で首謀者を告発し合え。たいへんなことを知っているはずだ。政府は隠密にでも徹底捜査せよ。手段を尽くせ。ぼくが殺されているのに それで国民を守れるか。




それにしてもガンディーは、本質的に内気で敏感な人間が、その純粋ゆえに一転して強大な意志エネルギーを持ち歴史を変えるものであることの証である。人は、彼の本質は世間受けする愛他精神などではなく、その実に稀な純粋精神にあることを、気づくべきである。ぼくにはそれが自分のことのようによくわかる。めだたないひとで、それがよくわかるひとがいるだろう。まちがっても世間の社会活動家などと同質ではない。彼の質はじつに孤独である。ロランとの歴史的会見に同席した大先生はそれをよく感じていた。