過去節より:

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諸君はベートーヴェンは自分の音楽をどのように感受していたか想像できるか。彼は耳が聞えなかった。では彼は此の世の雑音の無い沈黙の世界で心の清澄な音楽を聴きそれを譜に写したろうか。否、運命の残酷は彼に清澄な沈黙をも与えなかった。彼の聾は二重に彼を〈自分自身〉から疎外した。沈黙のなかに心の耳を澄ます集中と思索をも妨げる絶えざるオーレンザウゼン(耳鳴り)。彼の意志は己れに忠実であろうとすれば瞬間毎にこの自然から強いられた二重の自己疎外状態を克服するという、不可能を可能にする自己克服をやらねばならなかった。この自然運命をねじふせる意志の闘いなくして彼は今日我々が享受する彼の音楽を創造しなかったのである。彼は自分が享受を疎外された精神界の空間に、それでも参与しようと凄惨な苦労と集中を重ね、自身の芸術を創ったのだ。ロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯」を、高田博厚と片山敏彦とが各々独立に二つの翻訳を創った。楽聖の苦闘の稀な描写を読みなさい。・・・ 私はベートーヴェンが耳をわるくした同じ25歳で、音楽家だけでなく思索者にも致命的な、耳疾患と治療が原因のブルドヌマン(耳鳴り)に襲われ、今日までそれから解放されることなく、多分楽聖と同じの異常な意志の緊張と努力でその間の時代、ドイツとフランスで二度の手術を経つつ哲学博士号を取ったのは自分の精神力の実証そのもので、その強靭な努力を自他に誇るべきである。ベートーヴェンと同質の努力だったと思う。その意志の異常な持続的発動で、〔通常者にも視える〕オーラも出るようになったのだと私は思っている。私は自分の仕事のための苦労以外のことを欧州でしなかった。物見遊山の余裕は無かった。このために私が自分の欧州・パリを語るにしても趣を一般とは異にするだろう。・・・・・・今度の容喙現象〔集合的容喙現象 ( 58 )〕はその私が苦しい中で最低限の拠所としていた基本的身体状態を破壊したのである。それでも私は今生きて書いている。これが魂の証でなくて何ぞや、私が〈遊ぶ〉刹那さえも魂の実証の等しい重さを持っている。だからこの責任存在を私は容赦しないと言っているのである。


 

 この表情でも不断に苦しんで自分を保っている。この状態をさらにNHKの回し者集団は破壊した。政府は責任追及をし償わせるべきだ。