以下、すべて「加藤周一氏と 753 他 」( より
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証言:
『 御手紙拝見。
 中村真一郎からの電話で、入院のこと、しかし軽症なることなど同時に聞いていました。不幸中の幸。それにしてもお互に用心すべきことです。くれぐれも御大事に。
 高田博厚特集のこと、是非参加したいところなれど、九月十五日締切りは到底まもれないと思います。九月八日に米国に出かける用件あり、そのまえには文責ほとんど果し難い状態です。
 やむを得ず、高田さんのことは、書くとすればまたあらためてゆっくり書くということに致します。どうも小生にとっての高田さんはそういう人物で、ちょっと他の仕事の片手間に想出をというわけにゆかないのです。想出はありすぎるし、高田さんの仕事の意味は大きすぎると思います。

加藤周一 』


同時代39号「特集*高田博厚」1981.12(法政大学出版局)編纂の際、矢内原伊作氏からの遅過ぎた原稿依頼にたいし、即おりかえし加藤氏より(「・・速達でだした。加藤君からはおりかえしすぐに返事の葉書がきた。そのスピーディなのにぼくはおどろいた・・」矢内原)同氏宛に届いた葉書の全文。同誌137頁。
 その後1985年出版された高田博厚著作集第一巻の解説は、加藤氏によるものである。

 上掲誌同欄に矢内原氏は自らの高田先生に関する文章(高田博厚著『私の音楽ノート』書評1973)を引用し、次のように言う:

『 ・・著者は「音楽通」になることを排して次のように言う――「理解」するということは「通」になることではなく、かえって逆なのです。音楽ばかりではなく、芸術はすべて、「自分」と「自分の魂」との「対話」なのです、と。
 本書の強味は、ここに盛られた音楽論が著者自身のこのような「対話」に根をもっている点にある。その対話の豊かさは著者本来の深い芸術への愛に負うものであるのはいうまでもないが、同時にその長い滞欧生活によるものであることもまた疑い得ない。つまり長いヨーロッパでの生活を通じて著者が自己自身との対話をたえず深めていったということ、そのことが本書をきわめて味わい深いものにしているのである。
 「相手が上手下手は私の問題にはならなかった。私には、この感動を自分でどう始末できるかが問題だったのである」。
 この一句に私は感銘を受けた。このひたむきな態度があってはじめて西洋体験も音楽体験も生きたものになるだろう。この意味で本書は音楽の聴き方を示す好個の指針であると同時に興味深い文明論でもある。』





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ぼくはもう人間一般になど期待しない。個々の人間があるのみ。性善説でも性悪説でもない。そんな一般論では人間の真理はとらえられない。そのつど然りと否とを言うのみ。一般論には飛躍しない。それは明白な拡張判断の誤謬である。そのような前提で言うが、人間には善人と悪人がいるのである。それはまさしく「本人の責任」である。「人間への志」の有無である。志における悪人は生存権を主張できない。先に死なそう。
 すべての人間には善悪・長短の二面性があるという〈人間観〉も、何も言ったことにはならない。本質において善か悪かということが、根本意志に「人間への志」が有るか無いかで決定されるのである。個の根本決断で。



『 憎悪は、愛とともにありえないが、怒りは、愛とともにむしろ愛に支えられてはじめてあり得るものだ。・・ 憎悪は、人を盲目にするが、怒りは、人の眼をひらく。・・ 矢内原伊作もいったように、「詩を愛することと人を愛することと国を愛することとが三つのことではなく一つのことである」 ・・』
 加藤周一著作集 2 6頁。



752節末筆との関連において:
宇宙意志への怒りは必然だが、「自己の魂との対話」における宗教感はどこから来る? 永遠のメタフィジックの問いである。「イデア」は精神生命の源として「在る」。 存在そのものの二元論。




 「本質本位」と「効果本位」は善と悪の対立そのものだ。すべてはここから出、ここに集約される。


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ぼくは教師には向かないのだ、教師しか務まらないにもかかわらず。高田先生もマルセルも教師ではなかった、あるいは、教師をやめた。教師は本質的に悲劇的である、なぜなら、自分の実質以上のことをどうしても表現しなければならないから、〈教え〉なければならないから。〈教える〉行為にはどうしても虚偽が、空虚が、つきまとう。自分が「探求」しなければならない状態の人間で、どうして〈解答〉を与えられようか。でもぼくは、〈解答〉を示そうとおもえば示せる力量はあったので、いまさら「いっしょに探求しよう」と開き直ることもできなかった。そこから、〈真理〉ではあるが、自分に問えば未だ「真理」に熟していないのではないかと思える状態のことも、勢いよく〈断定〉してみせねばならなかった。その齟齬を呑み込まねばならなかった。だから、そういうことをずっとつづけていたくなかった。自己意識が「正常」ならあたりまえだ。「学問」とはそういうものだ。教師はきわどい綱渡りである。自信たっぷりの教師が信じられない。いまぼくは完全に「探求する者」であり、あのいたたまれない気持からは解放されて、そこはほっとしている。


あのころは周囲も「人間」の世界だった。いまはぼくの精神いがい何もかも変質してしまっている。なにが周囲を支配しているのか、たしかになにかなのだ。なにもかも夢の悪夢であって、覚めてしまえばもとどおりになっているという奇蹟が起ればよいといつもおもっている。現実の世は夢よりしまつがわるくて悪夢である。そうでしょう。正常ではありませんよ。ぼくはその移行の結節点に立ち合わせたという感じなのだ。正常にみえるのは表面だけ。でなければいまのぼくのような状況はありえない。毎日、自然ではないことを経験している。せめて自分の体の状態がもとに戻ればよいのだが。これから折にふれて変な話(経験)もいっぱい記すかもしれない、ぼくはいやなのだが、非生産的で。しかし向こうが起こしたのである。ぼくの記憶にのこっている。これは断じてぼくがおかしいからじゃありませんよ。此の世は無気味で、みな気づかないだけで、蟻地獄(サブル・ムーヴァン:動く砂穴)なのだ。

〔タルコフスキーの「ストーカー」は、あれはあれで独自な世界経験表現でしょう。重なるようで、重ならない。ぼくだけでなく、近年めだってきた「集団ストーカー」被害経験こそは、酷似性が重なる経験であり、彼等はぼく同様、まったく正常精神で経験していることを疑わないし、このことは社会認知されるべきだ。経験の解釈に差があるにしても(あるいみやむをえない)。巨匠の作品より、こちらの経験のほうが圧倒的過ぎて、よく鑑賞するゆとりがまだない。無造作に重ね合わせないほうがよい。〕




アランは「忘却」を一種の徳と見做した。記憶と結びついた情念からの解放がもたらされるからであろう。精神は常に空白のカンヴァスに向うように活動することが健康的であるというのが彼の信条だった。ぼくは補足しよう、忘却によって、精神は非本質的なものから解放され、ふたたび本質的なもの、精神に内属する関心事に、集中するようになることこそ、忘却の徳である、と。精神は自分を失うことはない。ただ外的事物とその印象という雲によって、自分がみえなくなっているだけだ。そういうものに執着するのは精神の本質に反している、だから忘れる。精神・魂の内在的な(になった)記憶のみが、外部の忘却によって、霧が晴れたように蘇える。こうして詩人なら、最初の詩の一行が浮かんでくるだろう。瞑想者は自分の主題の世界に帰郷する。経験が一旦忘れられ精神に内化され、ふたたびそういうものとして内側から立ち現れるのが、詩の言葉である、とリルケは言った。このようにしてくりかえし〈ラザロの復活〉はあるだろう。