この書の本質はぼくは咀嚼しきっている。

読者には ぼくが先生やマルセルと対話しながら紡ぐぼくのオリジナルな思索のほうが惹くのではないだろうか。ぼくもそうである。



金木犀の香り しっかり記憶しました。甘くて品格のある香りです・・


まだ蕾が準備されているのでこれからも咲きそうです



みなさんにはごぶさたしていますが いま自分の世界いがいをみようとする気がありません



このまま沈んでいって消えてしまったらいいと思う・・・



   
 自分の世界を耕すことに集中しているあいだに 悪魔共のことをすっかり相手にしなくなりました
「仕事と共にあるのが一番自分で、一番強い。」
  東京、一九五八・一〇 『高田博厚著作集 III』182頁


自分の内部の世界が外部の世界より重さを持ち秩序を持つようにならなければ 人間はけっして落着かない。「思想」(を持つ)とは ほんらいこのことである。
 この窮極に「神」が「実在する観念」として在る。


  
  

 
 
13日 夕

  
 


愛にもとづいて「間違う」ことがある。愛のない無謬よりこれは純粋で美しい。あのときどうしてそういう言動をしたのか後になって自分でもわからないだろう。この間違いを仮に「罪」と言うなら、これ自体が事後観念であり他者視点観念なのだ。本人は「一つ」であり、矛盾していない。愛があるだけ無謬者よりも「神」に近い。
 

「ここは きみのいる場ではない」 という声をいつも聞いた。それにしたがってきた。ぼくのいる場は この世ではない。 〈此の世、此処で自分の使命を果たす〉と捉えることができる者は そうすればよい。そういうことを実存哲学を知悉しているぼくは誰よりも知っている。その都度ぼくもそうしてきた(「使命」に集中した)が、ついに「そうではない」といつも思った。「創作活動」にぼくの場はある。「自分自身を相手にする」ことのなかに。
 それに集中するかぎり、どこにいるかは問題ではない。
  創作とは 「別の世界」を告げること