きょう、正確には(もう)昨日、起きて何故か二つの気づきがあった。全然意識してなかったんだけどね。(たぶん眠っている間に、)意識のなかにもうできていて、眼が覚めたらそれに気づいたというわけ。

ひとつは、萩の喧々諤々の諸氏が活躍できる土台を造ってやったのは、沈思実行の薩摩であって、自らを低めてまで日本のために和睦してやったということ。あの諸氏にはできない精神だと気づいた。日本も東郷平八郎までは、つまり薩摩人がリーダーである間は内容的にも立派に勝てた。幕末に禁を冒して多数の若者を欧州留学させたのも薩摩だ。この話はなかなか全国に知られない(なかには初代文部大臣となる森有礼-哲学者森有正の祖父-もいた)。〔森有正の教え子、小説家辻邦生氏の父は薩摩琵琶の名手である鹿児島人。〕


もうひとつは、裕美さんは、話題にする人のことはかならず褒める、これはほんとうに褒めたいから、好意があるから褒めるのであって、そう思う人しかけっして話題にしない、ということ。また彼女の人間から学びました。というか、気づいたのです。ぼくは議論からではなく、人間からしか学ばない。普通の言動の背景にある人間をしか尊重しない。ぼく自身は正反対の人間なのではない。わざと意識的に仕掛けたり敢えて率直に言ったりしているのです。そういうぼくの影にくらいつく人はみごとにぼくから肩すかしをくらわされます。

以上 言いたいほうだいでした。

では また




付言
影はぼくの影であって、動かしているぼくは全責任をもつ。ぼくの本心から生じない影はない。しかし影であるいじょう、ぼくの本体ではないのだ。これ以上うまく言うことはできない。ぼくの根本的な自己感覚なのだ。動かしているぼく自身が影になりきっているときもある。いや、ぼくが魂を入れなければそもそも僕の影にならない。影と僕はひとつなのに、ぼくそのものではないのだ。全責任を負うといっても ぼくそのものが服するわけにはゆかない。これが正常な人間感覚ではないか。







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今日、グーグル検索の「セーフサーチ」機能というものに気づいて「オン」にしたら、不健全画像がほぼカットされたようだ。ほんとうにほっと落ち着いている。これで情緒が格段に安定するでしょう。こういうことはほんとうに大きいのですよね。言葉で言えないし言いたくない。

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〔他レポート紹介〕

『 December 25, 2008
羽田裕美 ピアノミニコンサート 
【羽田裕美さんの初ソロステージ、レポートです】

ZARD展1●12月20日(土)、21日(日)と、高島屋大阪店でピアニスト・羽田裕美さんのピアノミニコンサートが開催されました(13時~、16時~)。全国で開催中の初のZARD坂井泉水展・大阪における特別企画として行われたのですが、用意された30~40の座席などとても足りず、本番中は実にその10倍くらいのギャラリーが百貨店の売り場にひしめいて、高島屋さんのスタッフも予想を遥かに上回る盛況ぶりに、通路確保・整理に精一杯という状況でした。10列も離れればとても羽田さんの姿など見えず、2回目のステージから急遽TVモニターが設置されました。
ZARD展4ZARD展2





ZARD展3時に力強く、時に繊細にZARDの名曲を奏でる羽田さんは、約30分程の短いステージでしたが、各曲がコンパクトにまとめられ、「あなたを感じていたい」、「Don't you see!」、「揺れる想い」、「マイ フレンド」、「負けないで」などおなじみの名曲を8曲披露してくれました。1曲1曲気持ちを込めて弾く姿は、お客さんにもきちんと伝わったのではないでしょうか? 番組中のトークはほんわかムードのHIROMIちゃんですが、激しく弾く時はあんなにパッシブになるんですね!そんな羽田さんは初日終了後、「すごく緊張しましたが、皆様のいろいろな想いを感じることが出来て、少しステップアップできたと思います。また頑張ります…。」と胸の内を語ってくれました。
あなたを感じていたい自身も3rd AL「あなたを感じていたい ~ZARD Piano Classics~」を今月リリース、これでより多くの方に聴いてもらうきっかけができたのではないかと思います。2009年も演奏家としての部分でさらに羽ばたいてほしいと思います。この日遠方からお越しいただいた方からすでに感想の書き込み、ありがとうございます。ともあれHIROMIちゃん、お疲れ様でした。この日の模様は後日番組でも放映しますので、お待ち下さい。』



〔見たい!今は見れないの? それにしても彼女の人気は凄かったのですね。本質は変わらないのだから、いまはどうなのでしょう。〕

※ 忘れてならないことは、大事なものは「日本」や「本質」なのであって、利益や人気ではないということ。諸君はぼくがここで遊んでいると思ってはならない。人の魂を掴むのは魂なのだ。「日本」を純粋に思うことと、(芸術の)「本質」を思うことは、同じ純粋な魂の働きなのだ。真摯さ 誠実さ 真剣さにおいて そこには違いはない。同じ魂が、日本を純粋に思い、芸術本質を純粋に思っている。その純粋さは、等しく言動に現れる。ぼくはそこをみている。他者の言動をみるのみならず、ぼくのうちに、純粋に国を思う心と、純粋に芸術を思う心があるのだ。これは、このふたつの心は、同じ魂の純粋さの発露である。生れつき芸術家の魂をもつロマン・ロランが、その同じ純粋さのゆえに、社会革命の兵士となろうとした。これが「人間」なのである。心の純粋さ、魂、これをぼくはどこでも注視している。俗物は、人気や利益という〈結果〉を目的とし、それに相応する言動を現す。はっきり言うが、それが芸能屋、政治屋、企業屋である。「純粋な志」のみが「人間」を創る。それを感じられるひとのみをぼくは相手にしている。分野ではないのだ。




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それにしても、もう何年前からか数えるのもいやだが、以前のようなからりとした気の晴れる世界をずっと感覚していない。身体が薬害で変質したから、それに応じた感覚機能しかないのだ。天気でも、薄暗い妙な雰囲気の世界に生きている。心も変って当然だが、内面はどうやら一貫性を保っているようだ。これが不思議なんだ。黙って普通であるかのように堪えていると、ぼくの異常状態は無いも同然に無視されてしまう。だから時々、どういう世界感覚にぼくがいるか触れる必要がある。自然にしていれば、明るいのどかな気持になど全然ならない。そういう気持は記憶のなかにかろうじてある。過去の感覚を殆ど忘れてしまっているみたいなのがこわい。こういうことが医療機関で平然行われてよいものか。

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「訪問者数」が毎日百人すこしだ。ありがたいと思うが、アメブロをも超えてもっと読まれてよいと思う。