人は外見で内面を勝手に構想し悪人だと判断する。そういう独りよがりの念が飛び交っている。どうして、この人はこんなにしてるけどほんとはいい人で何かの理由でわざと(例えば)不親切の振りをしてるんだ、というふうに解さないのか。人間の判断を絶対だなどと思ってはけっしてならない。思い込みの強さに騙されてはならない。自分に関しても他人に関しても。
 人の構成する表象にけっして惑わされてはならない。ましてや自分で読み込んではならない。
 〈天の御使い達〉の判断も地上の人間の判断と同レベルである。そういうものの無責任な集積によって〈審判〉がくだされることの根本的な虚偽。〔こういう連中のために〈悪人〉がでたらめに作り出されて世界がおかしくなっている(ほんとうの悪人がいることをぼくは否定していない。それは積極的に悪を為す者だ)。勝手に他者を断罪する倫理主義者こそ、積極的悪人に次ぐ、或いはそれ以上の悪人だ。〈正義〉の名で積極的加害行為をなすのだから。〕
 〈他者の判断〉を権威化・神聖視してしまったら「人間」はおしまいである。〈安定〉を求める者はすべてこの罠にかかる。



ぼくの人生はいったい何だったんだ。



いまおもう。全体に関わろうとする愛に基づかないで、自分の関心のあるところだけを読む者のためにぼくは書いているのではない。愛とは、個別的全体への関心である。個別的全体(相手の存在全体)を知解しようとする意志であり、能力である。そういう愛をぼくに抱いている者はぼく自身いがいにあるはずがない。





 
 いただいた今年8月の神戸夜景




 
 
子供の大好きな彼女。ほんとにいいひとだね。しあわせになればよいのだが。

 
〔彼女の賢明さは、メジャーデビューしてからも、自分の家族や学友とその近親の人々との関係にしっかり自分を収めていることで、普通の家庭的日常の状況にふみとどまってゆるがないことである。なぜならそこに自分の「ピアノの道」という生きる中心が根ざしているのだから。これが「自分の仕事」をもっているひとの堅固さであって、これは人間の倫理性の条件といえるものなのである。これが彼女の「高いレベル」の、言わば地上的基礎である。天上的基礎は彼女の心そのもののなかにある。しかも彼女はその高いレベルの内容(たとえば修練している音楽の内容)のことを一般に向けてはぜったい書かないのだ。それはもうまったく秘密事項のように沈黙している。それ以外の日常事しかけっして書かない。察する力のある少数の読者が、さりげなく触れられている日常情景から、彼女の「人間」を悟るのみである。〕